「紀伊半島旅行記(その16:伊勢編 その10)」のつづきは、おかげ横丁からお送りします。
おはらい町が、「昔ながらの参道」風なのに対して、こちらはテーマパーク風です。
江戸時代の盛り場に迷い込んだ気がするほど、しっかり造り込まれた街並みがステキで、楽しい
こちらの宝くじ売場なんて、ただ窓口が並んでいるだけの西銀座チャンスセンターよりも、かなり当たる確率が高そうな気がします(私は買いませんでしたが…)
このまま時代劇のロケにも使えそうです。
もっと時間に余裕があれば(この時点で16:00を廻っていました)、もっとのんびりと楽しめたかもしれません。
まぁ、次にお伊勢参りするときには、「おはらい町・おかげ横丁」の散策にもっと時間を割くことにしましょう
おはらい町とおかげ横丁との位置関係はこんな感じです。
バスや自家用車で内宮(皇大神宮)に向かうメインルート・国道23号線と並行しておはらい町通りがあって、その中間地点あたりにおかげ横丁が位置しています。
Wikipediaによれば、
高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には伊勢神宮の参拝客が500万人であるのに対し、おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込んでいた。観光客は伊勢おはらい町通りに平行する国道23号を利用してバスや自動車で宇治橋前まで乗り付け、参拝を終えるとおはらい町へ立ち寄らずに次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加した 。近代化の波を受けて「伊勢らしい建物」をなくしたおはらい町は、観光客の魅力を失っていた。
だったそうな。
ありがちな話ではありますな
そこに登場したのが、
この状況を憂慮し立ち上がったのは、この地に本店を構え、「5年で給与倍増」するという目標を4年で達成して勢い付いていた老舗和菓子店の赤福であった。赤福は有志を募り1979年(昭和54年)に「内宮門前町再開発委員会」を結成、赤福社長の濱田益嗣の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ、日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づいて伊勢の伝統的な町並みの再生が始まった。
さらに、
赤福は1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせて「おかげ横丁」を開業させた。おかげ横丁と生まれ変わったおはらい町は、2002年(平成14年)には入込客数が300万人を突破し、お蔭参りの頃の賑わいを回復した。
だとか。
まさに地域再生のシンデレラストーリー
ところが、この主役だった赤福さん、2007年の表示偽装事件でミソがついて、そのほとぼりが冷めたと思ったら「お家騒動」と、「いかがなものか…」的な状況になっているのが残念です。
赤福餅は美味しいんだけどねぇ~
つづき:2014/06/06 紀伊半島旅行記(その18:伊勢2日目編 その1)





