「大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』が完結 (前編)」のつづきです。
あまり時代劇を視ない私、ということもあるでしょうけれど、「べらぼう」で目から鱗形屋孫兵衛(ちがう😅)だったのは、大田南畝、朋誠堂喜三二、恋川春町といった武士たちと蔦重を初めとする町人たちとの距離感でした。
さすがに老中の田沼意次や松平定信らと蔦重との間には大きな距離があったものの(ラスト近くで、白河に帰る定信御一行(正真正銘の大名行列💥)を蔦重とおていさんが土下座して見送っていた)、武士クリエーターたちと町人クリエーターたち、町人プロデューサーたちは、身分の差など無いかのように、一緒に狂歌を楽しみ、「屁踊り」をし、知恵を出し合い、そして戯けていたのが、なんとも楽しかった。
せいぜい身分の差が感じられたのは、座敷に集ったとき、決まって上座にお武家さまが座っているくらいだったような…。
登場人物の中でとりわけ「武士」を意識していた滝沢瑣吉なんぞは、腰に脇指を差して耕書堂お仕着せの青はっぴを着るという珍妙な格好をしていましたっけ…😅
そういえば、吉原で武士が登楼する際には、刀を茶屋に預けて丸腰になることを求められていたとか…。
それには、もちろん危険物の持ち込みを避けるという理由があるのでしょうが、吉原では武士も町人もない、人と人、男と女が楽しむ場所という考えもあったのでしょう。
TVドラマの時代劇がさかんに作られていた頃、そこで描かれる武士はひたすら武張り、町人はへいこらするか、悪代官に「菓子折」を送るかといったところがステレオタイプだったイメージですが、「べらぼう」では、武士・町人がそれぞれ幕政を茶化し、市井の人々に楽しみを供給しつづけたというのが、実に通快でした。
ドラマの最終盤で、蔦重が本居宣長に執筆を依頼するのに、「お上が奨励する儒学は、『かくあるべし』を説いて、お上にとって都合が良い学問ではあるけれど、所詮は異国の考え方。天岩戸神話にあるように、基本、スケベでホントは楽しみたいと思うのが日本の素の考え方ではないか」といったことを話していました。
享保の改革⇒寛政の改革⇒天保の改革と、幕府はたびたび質素倹約・奢侈禁止・綱紀粛正の政策を打ち出しますが、これらの改革の目的は、「日本をよくする」ことよりも「幕府・藩の財政を立て直す」ことに主眼が置かれていたと記憶しています。
幕府や藩が出費を削減し、武士に倹約させれば、お金が回らなくなり、結局は街の経済全体がしぼんでしまうことになります。
こうした政策も、蔦重に言わせれば、「お上はてめえのことしか考えてねぇ😠」ということになるのでしょう。
📺
蔦屋重三郎の菩提寺は吉原からさほど遠くない浅草の正法寺。
墓石は災害や戦災で失われてしまったものの、飯屋宿盛らによる墓碑銘が顕彰碑として再建されているそうです。
そこから蔦重臨終に関わる部分を抜粋しますと、
寛政丁巳夏五月初六日謂人日
吾亡期在午時
因処置家事決別妻女
而至午時笑又日
場上未撃柝何其晩也
言畢不再言
至夕而死
というもので、訳すとこうなるかと思います。
寛政9(1797)年5月6日、蔦重は「自分は今日の午の刻に死ぬ」と言い出し、妻と家業の今後を相談し、別れを告げた。
ところが、午の刻になると、笑いながら「なぜか拍子木が鳴らない」と言うと、二度と話すことはなく、その夕方に亡くなった。
この「拍子木」をモチーフに、「べらぼう」では森下佳子さんが、なんともべらぼうな趣向を織り込んできました。
九郎助稲荷🦊が「午の刻に迎えに来ます。拍子木が合図です」と蔦重に伝えるのですが、今際の際の蔦重の周りを、いつもの仲間たちが勢ぞろいで「屁❗ 屁❗ 屁❗」と叫び、踊り回るものだから、やかましくて拍子木が聞こえないですと…。
主人公が亡くなるというのに、まことに戯けまくりで、素晴らしいラストシーンだったと思います👍
📺
「べらぼう紀行」で歌麿の「江戸三美人」に描かれた3人のうち、難波屋おきたちゃんと高島おひさちゃんのゆかりの地が紹介された回がありました。
それで知って驚いた😲のは、水茶屋・難波屋があったのは、浅草寺二天門の近くだったということ。
なぜ驚いたかといいますと、この3週間前、「べらぼう たいとう大河ドラマ館」に行った帰りに二天門をくぐったばかりでしたから😲
きょうから浅草の冬の風物詩・羽子板市(12月17~19日)が始まったそうですから、浅草寺はいつも以上に賑わっているんでしょうねぇ。
そうそう、「清澄白河」の「白河」という地名が、白河藩主だった松平定信の墓所・霊巌寺があることに因んだものだということも「べらぼう紀行」で知りました。
📺
こうして約1年間にわたって楽しんだ「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」が完結し、来年は豊臣秀長を主人公にした「豊臣兄弟!」です。
「またかよぉ~😩」の戦国~安土桃山時代の話です。
2023年の「どうする家康」を早々に離脱離脱した私ですから、また、2024-2025年と大河ドラマにのめり込んだ私ですから、ハードルはかなり高い😅
でも、一応、期待は込めて、「秀長築城にふさわしい姿で復元された」という郡山城追手門の写真を載せて〆とさせていただきます。




