つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

神戸遠征記っつうか関西遠征記 #3-1

「神戸遠征記っつうか関西遠征記 #2-5」のつづき、遠征3日目、2月23日(祝・月)のあれこれを書き始めます。

この日の「旅程」は、「#0」に書いたとおりでありまして、神戸のホテルをチェックアウトした私は、JR三ノ宮駅から新快速🚋に乗って京都に移動しました。
前日と同様、新快速はほどほどに混んでいて、私が座れたのは大阪駅からでした。
そして、神戸から50分⌛ほどで京都に到着。

例によって、まずは予約していた京都駅八条口からほど近いホテルまで行って荷物を預け、身軽になったところで、京都での本格的な行動を開始しました。

   👟

この日のメイン💥は、「懸案」になっていた建仁寺下鴨神社にお参りすることでして、ルートをいろいろ考えた結果、京阪電車🚋を使うことにしました
これまでにも京都国立博物館まで行くのに何度か歩いた道を通って七条(しちじょう)まで行き、京阪電車🚋に乗り込みました。
なお、「七条」は「しちじょう」か「ななじょう」かについては、こちらの記事で採り上げましたなぁ。

建仁寺は清水五条駅祇園四条駅「2駅利用可」みたいな場所にあるのですが、私は祇園四条駅で電車を降りました。
祇園四条駅の6番出入口から地上に出ると、そこは南座の前😲
大勢の若い人たちが群れていて、みんな劇場の写真📷を撮っていました😲
いったいどんな公演がかかっているのだろうかと思ったら、「劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師 シネマコンサートの段 in京都南座」とな。
めちゃくちゃ長いタイトルを見ても、看板を見ても、いったいどんな興業なのかさっぱり判りません😅
公式サイトを覗いてみたところ、

「劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師」をご覧いただきながら、オーケストラの生演奏による、臨場感あふれる映画体験を、京都・南座でお楽しみいただけるイベントです。当日は来場者全員にピクチャーチケットの配布も行います。
本催事のトークコーナーにて、猪名寺乱太郎役の高山みなみ、摂津のきり丸役の田中真弓、福富しんべヱ役の一龍斎貞友、土井半助役の関俊彦の4名の豪華声優陣が登壇いたします。

というものだったようです。
アニメファン、とりわけ「忍たま乱太郎」ファンにはたまらないイベントだったことでしょう。

   👟

それはともかく、私は南座の前を通り過ぎ、最初の交差点を右折して建仁寺へと歩を進めました。

私が通ったこの道、大和大路通と大仰な名前がついていますが、「大路」どころか、クルマは一方通行(北行き)の狭い道でした。

そして、本当の「大路」四条通川端通から至近ながらひっそりとして、なんだか時間が止まっているみたいな感じ…。
通り沿いには「レコード店」を名乗る店があって、私の母の実家がある街にも、現役の「レコード店」があるなぁと思い出したりするうちに、建仁寺の西門に着き、境内に入りました。

西門から入ると、建仁寺中枢💥法堂と方丈はすぐですが、せっかく歴史ある古刹にやって来たのですから、南側から順番に拝観することにしまして、伽藍をチラ見👀しながら南にすすみ、一旦、勅使門の脇から外に出ました
こうするなら、西門を入らず、大和大路通をそのまま「下ル(さがる)」すればよかったな…😅

それはさておき、建仁寺の南端、勅使門です。

京都には、もっぱら応仁の乱のせいで、室町時代以前の建物はほんの少ししか残っていません。建仁寺も例外ではなく、現在の伽藍のほとんどが江戸時代以降に再建または移築されたものだとか。
その中で、例外的に鎌倉時代に建てられたかもしれないのが、この勅使門だそうな。

銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝えています。柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれています。元来、平重盛六波羅邸の門、あるいは平敦盛の館門を移建したものと言われています。

とな。

正面から勅使門をしばし鑑賞👀したあと、再び境内に戻り北へ…。

すぐ右手にあるのは、古い大きなお寺ではお馴染みの浴室♨

その隣り(北側)には、扶桑仏心宗 第一開山 千光祖師栄西禅師入定塔」と彫られた石柱の先に、さほど大きくはないけれど気品漂う建物✨がありました。

あとで知ったところによると、これは「門」で、この奥に非公開🚫開山堂があるらしい。

建仁寺は、

臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。山号は東山(とうざん)。講堂は中国の百丈山を模して建立されました。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第11世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となりました。800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。

だそうです。

石柱にあった「扶桑仏心宗 第一開山」「日本最初の禅寺を開いた」という意味でしょうが、「第一開山」はこの建仁寺に係るのではなく、栄西に係ることばです。
というのも、日本最初の禅寺は建仁寺ではなく、その7年前建久6年(1195年)に同じく栄西が開山した博多聖福寺(訪問記)ですから…。

で、聖福寺にもあった「チャノキ」が、建仁寺でも三門の前に植えられていました。

さらに、境内には「茶碑」もありました。

チャノキ自体は、もっと古くから日本に伝わって、お茶🍵も飲まれていたいたようですが、お茶(緑茶)が広まるようになったのは、栄西「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。」で始まる「喫茶養生記」📖を著して第三代鎌倉殿・源実朝に献上したのがきっかけだったらしい。

こちらの資料によれば、

「吾妻鏡」建保2年(1214) 2月の条に,将軍実朝の二日酔い栄西一杯の茶🍵とともに「茶の徳を誉むる書」1巻を奉ったと記されている.

だとか。
たしかに、二日酔いの朝には苦いお茶(抹茶)が効きそうです😅

こうして見ると、を日本にもたらしただけでなく、喫茶🍵という風習を日本で広めた栄西がその後の日本文化に与えた影響って、とんでもない😲
中高生の頃の日本史の授業📖では、単に「日本における臨済宗の開祖」としか教わらなかった気がしますけれど、そんなもんじゃない👊と思うのであります。

というところで「#3-2」につづきます。

🚩つづき:2026/03/12 神戸遠征記っつうか関西遠征記 #3-2