つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

ぼちぼちと関西旅行記(その4:大阪歴史博物館編③とか)

横道に逸れて終わってしまった「ぼちぼちと関西旅行記(その3:大阪歴史博物館編②)」のつづきです。
なんといっても紹介したいのは、大阪歴史博物館の9階:中世近世フロアに展示されていたこちら

111022_1_1 安政5(1858)年に大坂でコレラが大流行したとき、緒方洪庵が複数の医学書からコレラの治療法を抜き出して翻訳し、緊急出版した「虎浪痢治準(ころりちじゅん)」です。

江戸末期の出版物ですから、大阪歴史博物館以外でも現品を保有しているところは少なくないでしょうけれど、ここのは、

「適適斎」すなわち洪庵の蔵版で、表紙見返し右下には「適適斎」の朱印が押される。

と説明されているように、洪庵先生ご本人の蔵書だそうな

虎浪痢治準」といえば、「JIN -仁-」の第2話(だったかな?)で、洪庵先生が「あれは役にたちません」とおっしゃっていましたっけ…
医学を含めて科学というものは過去の蓄積をもとに、最新技術が更新されていくわけで、この「虎浪痢治準」が医学書として役に立たないのは仕方のないこと。

ですが、同じ洪庵先生がドイツの医学者フーフェラントの著書「医学必携」を翻訳・出版した「扶氏経験遺訓」は、その一部が現役です

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扶氏経験遺訓」の巻末には、「医学必携」の最終章「医の倫理」を杉田成卿杉田玄白の孫)が全訳した「医戒」を、洪庵先生が十二カ条にまとめ、門人たちへの教えとした「扶氏医戒之略」が書かれています(と聞いています)。
この「扶氏医戒之略」は、医療技術がフーフェラント先生や洪庵先生が活躍していた時代とは格段の進歩を遂げた現代でも、不朽の輝きを放っています。

中央大通を挟んで大阪歴史博物館の真向かいにある大阪医療センターのHPにこんな記述がありました。

扶氏とはフーフェランド(ベルリン大学教授、1764-1836)のことで、その著「Enchiridion Medicum」のオランダ訳書を緒方洪庵が愛読し、約20年かかって完訳「扶氏経験遺訓」全30卷を出版した。この「遺訓」の巻末には医者に対する戒め がかなり長く記述されているが、この部分を洪庵が12ヵ条に要約し、門人たちへの教えとしたのが「扶氏医戒之略」である。
法円坂の地は適塾出身者と深い関わりがあることと、
本院で働き学ぶ医師にとってもいまなお貴重な教えとなることから、ここに「扶氏医戒之略」を転載した。

ということで、まさに現役

全文は大阪医療センターのHPでお読みいただくとして、第一カ条だけ転載しておきましょう。

医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

普遍的な倫理観だと思います…。

   

この日(10月9日)の夕方、一旦ホテルに戻った私はバッグの中味を入れ替え、THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST大阪公演に出撃 京阪中之島線なにわ橋駅に向かう途中、適塾に立ち寄りました。

当日の記事「今夜『逢いたくていま』」を聴いたら」は、「適塾前からの実況投稿」でした。

で、適塾大阪大学が管理しているんですな)、間口から想像する以上に大きな建物でした。

111022_1_4 って、この写真は違う

緒方ビル クリニックセンター」の看板を掲げたこのビルは、適塾の一本南の道路に面して建っていまして、「財団法人 洪庵記念会」が所有する医療モールのようで、理事長は洪庵先生の末裔の方だそうな。

そして、この場所は、洪庵先生らが天然痘予防のために種痘を行った「除痘館」があった場所で、それを記念するプレートが設置されているのだとか。

この時は、そんなこともつゆ知らず、閉館時間が迫った適塾へと急いだのでありました

でもって、こちらが適塾の観覧券。

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この建物が、大きなビルに挟まれていたらかなり興ざめですが、適塾の両側は小公園になっていまして、

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西側の公園には読書する洪庵先生の像が鎮座していました。

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適塾のリーフレットによれば、

史跡・重要文化財適塾は、商都大阪北浜のオフィス街に、江戸時代の町家の姿を現代に留めているばかりではなく、わが国蘭学塾の唯一の遺構である。大阪大学では、この貴重な文化遺産を保護すべく、適塾の東西のビルを撤去し、史跡公園化を推進してきたが、幸い、大阪市、財界等のご協力を得て昭和61年にこの事業は完成した。

とあります。現在のような雰囲気になったのはそれほど昔の話ではなかったんですねぇ。

さて、上の写真でも判るように、適塾はかなり奥行きのある建物です。
リーフレットに載っている間取り図を載せておきましょう。

111022_1_7これでも、1915~20年に行われた道路の拡幅工事のため、北側(左の図では下方向)が2mほど切り詰められたのだそうな。

かなり広いとはいえ、大勢の若い男たちがひしめいていたことを想像すれば、夏はかなり汗臭い場所だったことでしょう…

ところで、この階段

111022_1_8 60°くらいはありそうな角度です。

かなりの急傾斜で驚いた熊本城の櫓(記事はこちら)の階段だって、これほど急ではなかった気がします。

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あ、そうだ

適塾の開館時間は、10:00~16:00。閉館時間が早めですので、お出かけの際にはご注意ください。
参観料250円超お得だと思いますよ。

   

それと、適塾に行ったら、前述の「緒方ビル クリニックセンター」(「除痘館記念資料室」が入場無料で公開されているらしい)と、その向かいにあるこちらの建物見ものです

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一見、奥ゆかしいお屋敷ですが、実はこの建物は「大阪市立愛珠幼稚園
1901年竣工で、重要文化財現役の公立幼稚園なんですと

いやぁ~、驚きました。

   

ところで、10月9日の記事「今夜『逢いたくていま』」を聴いたら」に追記で、

そして、この記事のタイトル、、、う~む…デス。

と書きました。

ツアー前半では「逢いたくていま」は全公演で歌われていたのですが、ツアー後半初日となったこの日の大阪公演ではセットリストから外れていました… かなり残念でありましたヨ…

さて、今夜の東京公演2日目ではどうでしょうか?

【追記】東京公演2日目で「逢いたくていま」を聴けましたぁ~
すっごく素晴らしいパフォーマンスでした
でも、適塾記憶が生々しい大阪初日で聴けていたら、私はどんな風になっていたのだろうかと想像すると、やはりちょいと残念です。(2011/10/23 00:30)

つづき:2011/11/06 ぼちぼちと関西旅行記(その5:大阪歴史博物館編④)