「6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-6」のつづきは、鹿屋航空基地史料館の見聞録です。
太平洋戦争中の航空機による「特攻」の出撃基地としては、陸軍の知覧が有名ですが、鹿屋は海軍の特攻出撃基地だったところ。
のっけから脇道に逸れますが、「特攻」は、潜水艦によるもの、ボートによるものなど、航空機以外によるものもあります。
また、有名な「神風特別攻撃隊」は海軍の特攻隊です。
さて、鹿屋航空基地史料館の内部は、撮影可の展示と撮影不可の展示が混在していまして、特攻隊に関する展示は、特攻隊員個人に関わるものが多いということで撮影不可でした。
この鹿屋基地と、近くにある串良基地から飛び立ち、特攻作戦に殉じた将兵は、1,200名あまり。この人たちの遺影が並ぶ様は、ことばを失います。
前途あったはずの若者、それもパイロットという特殊な技能を持った若者の命と、航空機の、生還を前提にしない特攻作戦、今考えればまともなものとは思えない、自暴自棄な作戦としか考えられませんが、当時の海軍・陸軍上層部は特攻作戦で戦局を転換させることができると信じていたのでしょうか…?
先の大戦での日本人の戦没者は、Wipikediaによれば、240万人とも約310万人とも…。
とんでもない数です。
この人数には、軍人だけでなく、沖縄を初めとする地上戦や、広島・長崎の原爆を初めとする空襲による民間人犠牲者も含まれます。
人類の歴史をふり返れば、戦争をなくすことは不可能な気がしますが、それでも、為政者の人たちには、戦争は、軍人・民間人の区別無く犠牲が生じること、亡くなる人たちそれぞれに家族・親戚・知人・友人がいて、それぞれの人生があることを肝に据えてもらいたいものだと思います。
なんか、いろいろ、しみじみ考えながら鹿屋航空基地史料館を出た私は、同じ敷地内にある鹿屋市観光物産総合センターに立ち寄りました。
と、その中に、「永遠の0」TV版の撮影に使われたという零戦の操縦席のモックアップが展示されていました。
「撮影で使用された零戦コックピット」という案内板と共に、TV番組のポスターも飾られていたのですが、私のことですから、どうしてもこちらに注目してしまったのはいうまでもありません。
こうしてこの日の観光の目的地をクリアしたわけですが、時刻はまだ13:00にもなっていませんでした。
このまま予定どおり高速道路を使って鹿児島市に戻ったら、「Misia Candle Night 鹿児島・仙巌園」まで時間を持て余しそうです。
レンタカーは16:30に返却することにしていましたから、まだまだ余裕があります。
そこで思いついたのは、大隅半島最南端の佐多岬まで行ってみよう ということでした。
鹿屋から佐多岬までは60kmほどの距離のようですから、大丈夫だろう と思ったのですが…。
つづき:2017/08/07 6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-8



