つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-3

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-2」のつづきです。

「日本国宝展」@大阪市立美術館を満喫した私は、天王寺公園エントランスエリア「てんしば」に戻りました。

なんとも気持ち良い天候で、てんしば平日とは思えないほど賑わっていました。
ここも、https://tranquil-smoker.hatenablog.com/entry/4e7017bf9659f15bd11c966f0c32aa76どこに行っても同じながら、外国人の多いこと
ただ、幼児や小学校低学年の子どもたちの団体が多いのは、天王寺動物園前という場所柄なのでしょう。

次の行動について何も決めていなかった私は、喫煙所で一服したり、飲食店以外の店を覗いたりしてブラブラ…

このとき、変わった花を見かけました。

鮮やかなで、まるでコップ用のブラシのような花です。

スマホに入れてあるアプリで調べると、「ブラシノキ」とな
そのまんまだぁ~

   

さて、時刻は15:10
ホテルにチェックインできるタイミングではありますが、ホテルに引き上げるには早すぎます。

そして思いついたのが、四天王寺にお参りすることでした。

実は私、これまで一度も四天王寺行ったことが無い
四天王寺が、聖徳太子が建立した古いお寺であることは知っていましたが、1945年の戦災に遇い、現在の伽藍は鉄筋コンクリート造りであることも知っていて、ホントはそんなことはないと思いつつも、ありがたみに欠けるというか…

天王寺公園からスマホGoogleマップを頼りに歩くこと約10分天王寺南大門に到達しました。

南大門をくぐって境内に入ったものの、中門(仁王門)から先の回廊の内側にはどこから入るんだろ? 

ここで、この後にいただいたリーフレットから四天王寺縁起」を転記しておきます。

四天王寺は今から約1400年以前、推古天皇元年(593)聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。太子が当寺を創建されるに当っては経田、悲田、施薬、療病の四箇院を構え、以って鎮護国家の道場としてまた救世利民の実践所として物心両面の救済により平和国家の樹立と文化国家の荘厳をはたされ…(中略)
当寺の寺域は33,000坪(約11万㎡)、堂塔伽藍は創建以降度重なる戦火天災に遭いその都度再建を重ねて来たが常に寺域と伽藍配置は飛鳥時代創建当初の姿を伝え、境内全域が史跡に指定されている。
昭和20年3月14日の空襲によって七堂伽藍の大半は焼失したが、上記の西門鳥居や、元和9年(1623)再建の本坊通用門、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈などの上記の建築物は戦火をまぬがれ、昭和29年9月17日重要文化財に指定され、中心伽藍は、昭和38年10月飛鳥時代創建当初の様式、結構を再現復興したもので所謂四天王寺式伽藍配置の今に在る貴重な遺構として文化史的に優れた価値を有するものである。

一文が長すぎて、略しようができませんでした

さて、中心伽藍への入り方が判らない私は、回廊の外側を反時計回りに歩いてみました。

そして、中心伽藍の外の南東側にあったのが聖霊院 太子殿」でした。

安土桃山以降のスタイルでしたが、くぐって中に入ると、

お堂(手前:聖霊院太子前殿、奥:聖霊院太子奥殿)は、さすがに法隆寺と似た雰囲気です。奥殿は法隆寺夢殿にそっくり

太子殿は前殿・奥殿から成り、昭和20年3月14日の戦災で焼失したが昭和29年4月10日前殿を再建、秘仏聖徳太子十六歳孝養像脇侍2体を安置している。
奥殿は(中略) 昭和54年10月落成し、(中略) 本尊として秘仏太子四十九才摂政像が安置されている。

だそうです。
孝養像(きょうようぞう)は、若くみずらを結った太子が香炉を手に立っている像ですな。別邸にも掛軸があります。

聖霊院太子殿を出て回廊沿いに北へ歩くと、「番匠堂」というお堂がありました。

「番匠(ばんしょう)って、大工さんのことだよね(私は落語で知った)、と説明板を読むと、

この御堂は日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀る
曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿により世に曲尺太子といわれている
四天王寺推古天皇元年(593)聖徳太子鎮護国家済世利民の後誓願により創建されその際伽藍建立にあたって百済より最新の番匠の技術を請来された
又、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむをえず大地の産物の命を絶ってしまうので金槌・鋸・錐などに佛生をいれて番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀佛」の名号を書かれ大工の工事の安全と伽藍の無事建立を祈ったと伝えられている

だそうです。

さらに中心伽藍への入口を探して歩いて行くと、中心伽藍の北側でなにやら工事(六時堂 保存修理工事)が行われていまして、その養生幕に書かれていた施工業者さんは、

大林組金剛組 特定建設工事共同企業体

出ました、金剛組

Wikipediaから「沿革」を転記しますと、

578年四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。

つまり、創業1450年になろうとかという、超老舗にして由緒正しき大工集団です。

そして、そのロゴマークには、例の曲尺が使われています。

振り返って回廊の北東角を見上げると、ちょっと珍しい垂木が…

これは「扇垂木」という、放射状に垂木が配されたもので、なかなかお目にかかれません。
私が実際に見ることができたのは、上田市安楽寺 八角三重塔 (訪問記)くらいのもので(東大寺南大門扇垂木らしいけれど、意識して見たことがありません)、

よく目にするのは、「平行垂木」と呼ばれるものです。
法隆寺金堂とか(法隆寺五重塔も)、

薬師寺東塔なんかも「平行垂木」です。

この記事を書くにあたっていろいろ調べてみましたが、どうして四天王寺が扇垂木法隆寺が平行垂木なのか判りませんでした。
ただ、構造的には扇垂木が優れるけれど、施工するには平行垂木の方が易しいということくらいのもの…

しまりませんなぁ

ちょいと気分を変えます

つづき:2025/06/02 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-4