「名古屋にSOUL JAZZ旅行 #1-3」のつづきです。
日本地図に、「現代の東海道」こと国道1号線(R1)を赤線で、東海道新幹線を青線でプロットしてみました。
全体の3/4くらいはほぼ一致していますが、名古屋~京都間がかなり違っています。
東海道新幹線は、その名前から、旧東海道のルートを辿って東京(江戸)から京都まで通っているのかと思いきや、名古屋の手前からは、美濃路⇒中山道のルートで京都へ向かっていて、一方、R1は、ほぼ忠実に旧東海道のルートを辿っているんですな。
ただ、R1でさえも「再現」できていないのが、宮宿(熱田)から桑名宿までの「七里の渡し」です。
この区間、東海道は海路でした。
現在でも、鹿児島市から種子島、奄美大島を経由して那覇市まで通じるR58がありますから、R1も海上区間を遺していたらよかったのに、と思ったりして…
と、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、熱田神宮への参拝&見物を終えた私が次に向かったのは、宮宿跡というか、「七里の渡し」跡でした。
左に示した私のルート、薄紫の「推奨ルート」と微妙にズレておりまして、そして「旧東海道」から外れていることがお判りかと思います。
敢えて旧東海道を避けたわけではございませんで、単に道を間違えたというだけ…
準備不足が如実に表れているわけですが、それだけでなく、あまりの蒸し暑さに半ばぼぉ~っとしていたのも一因だと考えております。はい。
それはそうと、既に昼の営業を終えたあつた蓬莱軒神宮店の前を通り(名古屋に着くなりひつまぶしの昼食を摂っておりました)、R19を歩道橋で越えてスマホの地図頼りに七里の渡しに向かって歩くと、なんとも落ち着いた(≒人通りがない)通りが…。
と、これまたなんとも風情のある建物
名古屋市教育委員会が立てた説明板がありまして、それによれば、
熱田荘
木造・二階建・切妻造・桟瓦葺平入り・正面庇付で、この建物は明治29年(1896)武藤兼治郎が建てた「魚半」という料亭であった。太平洋戦争中は三菱重工業の社員寮として、現在は高齢者福祉施設として利用されている。
建造時期は新しいが、近世の町家の形式を継承しており、旧船着場に面して建ち、先に指定された丹羽家(伊勢久)とともに、宮の宿の景観をしのばせる数少ない遺構の一つで、市の有形文化財に指定されている。
だそうです。
そして、「七里の渡し」跡に到着。
ここ「宮の渡し公園」はポケットパーク的に小ぎれいに整備されていまして、そこにあった説明板には、
七里の渡し舟着場跡
江戸時代 東海道の宿駅であった熱田は「宮」とも呼ばれ、桑名までの海路「七里の渡し」の舟着場としても栄えていました。寛永2年(1625)に建てられた常夜灯は航行する舟の貴重な目標となっていましたが、戦災で焼失し、その後昭和58年に復元されて往時の名残りをとどめています。
歌川広重による「東海道五十三次」の中にも、宮の宿舟着場風景が描かれており、当時の舟の発着の様子を知ることができます。
とあるのですが、広重の「東海道五十三次」の最も知られた宝永堂版の「宮」は、

上の絵でして、説明板に載せられた絵は同じ広重の「東海道五十三次」でもあまり知られていない「隷書版」の「宮」です。
もっとも、「七里の渡し」跡で見せるには「宝永版」より「隷書版」の方が合いますな。
というところで、かなり中途半端ながらお終い
つづき:2017/09/05 名古屋にSOUL JAZZ旅行 #1-4



