私は律儀に毎年2回、秋田の実家に帰省しているのですが、出かけたいと思いつつも、暑いだの、雨が降っているだの、寒いだの、吹雪いているだのと、出かけていなかった場所がありました。
そして、ついに、今年夏の帰省中に行ってきました!
久保田城趾(千秋公園)です
って、秋田市内で生まれ育った者としてははなはだお恥ずかしい話ですが、高校生の頃に遊びに行って以来、DEEP 千秋公園には足を踏み入れていなかったのですよ。
それでいて、小さい頃にはおばあちゃんたちとお花見に行ったり、当時千秋公園にあった動物園に行ったりした記憶も残る思い出の場所でもあります。
天候に恵まれない今夏の帰省では、珍しく晴れた日、「思い立ったが吉日」と出かけた次第です。
ところでこの久保田城、久保田藩初代藩主の佐竹義宣公が慶長9(1604)年に完成させた城です。
天守閣も石垣もない平山城として知られておりまして、しかも1880年の大火で城内の建物がほぼ全焼したことで、当時を偲ぶものはお堀と縄張くらいしかありません。
ちなみに「久保田城」と「秋田城」とは別物です。「秋田城」は奈良時代に対蝦夷戦略の前線基地として設置されたもので、城というよりは砦(後期には役所)です。場所も違います。
秋田城についての詳しい情報は秋田市教育委員会のサイトでご覧くださいな。
で、広小路から中土橋を渡って城域に侵入(?)。
お堀では今年もハスが元気に咲いていました(去年のはこちらの記事でどうぞ)。
秋田県民会館の裏手の池の辺りからDEEP 千秋公園が始まります。
まずは、松下門跡へ向かって右手にカーブする緩やかな坂道(「大坂」というらしい)。
何の変哲もない道路ですが、このポイントは私にとって激しく懐かしい場所です
現在はどうか知りませんが、昔、お花見の季節にはこの道路の両側にズラリと露店が並んでいて、私は盛り上がりまくりでした。小さな子どもにとっては、「花より団子」以上に「花より露店」なのですよ。
さて、大坂を登ると(というのもおこがましいほど緩やかな坂)二の丸に到着。
昔々、ここに動物園がありました。今にして思えば、かなりちんまりした動物園だったんですなぁ。
当時の様子は秋田市のサイトでご覧頂けます。
確か、上の写真でいえば左側に「お猿の電車」があった気がします。
そんな面影がかけらもない二の丸跡から視線を右に移しますと、佐竹史料館があります。
昔、この建物が「秋田市美術館」として使われていた頃、一度見物いたしまして、展示スペースのあまりの小ささに唖然とした記憶がありますが、さて、「佐竹史料館」に衣替えして、どうなったのでしょうか?
(この記事を書くにあたって、佐竹史料館のHPを見たところ、92年に「第二展示室増築」とあります。昔からあった第一展示室が150㎡で第二展示室が119㎡ですから、展示スペースは以前の1.8倍に広がっているようです)
観覧料100円也をお支払いして入館しますと、
最初から来ましたぁ~
佐竹"鬼"義重公所用の「黒塗紺糸威具足」です。
黒漆の輝きと紺色の威(おどし)との組み合わせがシックで、大変に結構な具足ですなぁ。
そして、そして、戦国武将ならではの突拍子もない兜
右の写真じゃよく判らないかもしれませんので、ちょいと拡大してみましょう。
競走馬のシャドーロールを横一文字に伸ばしたようなモコモコの前立(まえたて)に、宝塚歌劇か自動車のお手入れ用毛ばたきを連想するような羽根飾りの組み合わせが強烈な個性を放っています。
この「モコモコ」、実は毛虫の意匠なのだそうな。毛虫は後退しない(ムカデやトンボが前立に使われるのも同じ理由)という血気盛んな理由のほか、調べたところでは、毛虫は葉を喰う⇒刃を喰う⇒斬られないという説や、ケムシ⇒ゲムジ⇒ゲンジ⇒源氏(佐竹氏は清和源氏)という説もあるようです。
きょうの記事の最後に、史料館で展示されていた甲冑をご紹介しておきましょう(ポストカード、観覧券、パンフレットを駆使してます)。
左から、
義重公の「黒塗紺糸威具足」、
義宣公(初代藩主)の「伊予札黒葦素縣威二枚胴具足」、
義峯公(5代藩主)の「紫糸素懸威黒羅紗包二枚胴具足」、
義真公(6代藩主)の「本小札紺糸威二枚胴具足」 です。
父親に引き続いて「毛虫」をあしらった義宣公の甲冑はまだしも(実戦で着用された可能性のあるのはここまで)、義峯公と義真公のは、はっきり申し上げて、つまらない…
つづき:2010/09/07 超々久しぶりの千秋公園(その2)






