「南九州旅行記(その3:水前寺公園の巻③)」のつづきです。
東日本で生まれ育った私の感覚では、「立派な大木」というと、まずケヤキが思い浮かびます。ところが、西日本に出かけると、なんとも立派なクスノキを見かけることがあって、そのたびに、ほわぁ~とほれぼれしてしまいます。
例えば、尾道の艮神社(記事はこちら)とか、京都の青蓮院門跡(記事はこちら)とか…。
そして、熊本でも立派なクスノキを何本も見ることができました。
まず、昼食を食べた後、熊本城に向かう途中で通った花畑(はなばた)公園で見かけたこちらのクスノキ。
私が使っているコンデジではとてもフレームに収まりません
このクスノキは、上にリンクを貼った熊本県のサイトの説明によりますと、
そもそも、この地には中世、世継(四木)神社があり、境内には4本の大楠があったことから四木神社とよばれていました。4本の楠のうち、現在は1本が残っています。
だそうで、いったいいつから生えているのか判りません。
別のサイトによりますと、
この神社は応和元年(961)に住吉大神を主神とし、時の国司紀師信(きのもろのぶ)が奉祀した由緒ある社です。当時4本のご神木を植えたので「四ツ木宮(よつぎぐう)」と称したといわれ、花畑公園の樟はそのご神木の名残りと伝えられています。
ということで、由来が確かならば、樹齢1000年を越えることになります
でも、それ以上に興味深い話が、このサイト(くまもと緑・景観協働機構のサイト)に載っていました。
35年前に大きな危機が訪れ、枯死しそうになりました。多くの人の熱い思いと関係者の夜を日につぐ介護によって奇跡的ともいえる復活をした樹です
ですと
なんでも、1973年の夏、地盤が固くなりすぎて、根が吸水することができなくなり、枯れそうになってしまったそうで、
熊本市が全力を挙げて蘇生に取り組むことになって散水用の水道工事が行われ11日間で約310トンの水が灌水されました。また、徹夜で公園内を全面耕起する作業が行われ、続いて土には54,000リットルのピートモスを鋤き込む土壌改良や、樹幹には筵(むしろ)1500枚を縄400巻を使って巻く養生作業も行われました。
そして、
翌年の春、熊本城のクスノキの若葉が萌え立つころになっても、この樹は芽吹きませんでした。それで、芽立ちの問題についても「森の都推進会議」の専門部会による調査と討議が行われ、絶望的な容態ではなく芽の形成が遅れているのだろうとの結論になりました。心配しながらも希望を持って待つことにしました。<中略>
この年の夏を無事に乗り越えられるか否かが生死の分かれ目なので、樹勢の回復と天候の推移が最大の関心事でした。暑い夏の間、徐々にですが葉の量が増え緑の色も濃くなって危機を脱したことが見えるようになりました。その翌年の春は、熊本城などのクスノキと同時に新芽が芽生え、まだまだ貧弱とはいえ梢のあちこちに団子状に茂るようになりました。奇跡が起こったのです。それから30年、ゆっくりとした速度でしたがクスノキは完全に健康を回復し、その後熊本市を幾度も襲った大きな台風にも耐え抜きました。「目に見えにくい根の大切さ」を命をかけて教えてくれた花畑公園のクスノキは、森の都・熊本の緑のシンボルとして堂々とした姿で立っています。
う~む、、、ドラマです
花畑公園のクスノキがこんな過去を持っていたなんて、この記事を書くまで知りませんでした。
現場にこの話の説明板でもあれば、もっと感慨深くこの木を見ることができたのではないかと思います。
さて、次のクスノキは、今年12月23日にTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTが予定されている崇城大学市民ホールを横目に、
「せいしょこさん」こと加藤清正公の銅像の前を通り、櫨方門(はぜかたもん)で入園料を支払って入門
竹の丸の長塀を背景にしてすっくと立つクスノキがなんとも良い格好でした。
そして、もう一段、お城の中心部に近づいたところにある飯田丸五階櫓の横のクスノキは実に整った形でした。
そして、天守閣の前にも
もう、ここから先は説明なしで、新緑とお城のコラボレーションをご覧くださいませ
もう1枚。
次回は「石垣編」を書きたいと思っています。
つづき:2011/06/21 南九州旅行記(その5:熊本城の巻②)








