来週末から大阪遠征です。また旅行記ネタが仕込まれるわけなんですが、一方で今年1月末の大阪遠征記が延々と続いておりまして これはなんとかせねば
というわけで、「大阪でビバった旅行記 #2-9」のつづきです。
高校の修学旅行以来、かなぁ~り久しぶりにやって来ました、「銀閣寺」こと「東山慈照寺」
室町幕府8代将軍ながら、政(まつりごと)よりも、趣味に没頭したことで有名な足利義政が造営した山荘です。瓦には、足利氏の紋、「丸に二引両紋」が…。
そして、すぐに「銀閣」こと「観音殿」
「銀閣」と対に語られることの多い「金閣」こと「舎利殿」(訪問記はこちら)に比べると、2階建てだし、金箔はもちろん銀箔だって張られていないし、かなり地味庭園も広大かつ開放的な「金閣寺」こと「鹿苑寺」とは逆に、かなりこぢんまりとしていて、銀閣(観音殿)の正面には山が迫り、圧迫感すら感じられるほどです。
でも、これが数寄者・足利義政にとって理想の隠遁場所なんですな
足利義政がこの山荘を造営し始めたのは、11年間にわたって続いた戦乱 応仁の乱が終わってから5年後のこと。本人にしてみれば、「もう現実に向き合うのはイヤだ 自分の世界に没頭させていただきます」というつもりだったのでしょうけれど、応仁の乱で町を焼き尽くされた京都の庶民や、争いに疲れ切った武士たちにとっては、はぁ~ ってな感じだったのではなかろうか…
でも、そんな「KY」な施設が、約540年の時を経て、国内外から観光客を集めることになるとは、なんともいえない感慨が湧き上がってきます。唯一、足利義政公は草葉の陰で「にんまり」かも…
ところで、銀閣寺といえば、銀閣(観音殿)の建物と共に、盛り塩あるいはプリンのような向月台と、白砂が敷かれた銀砂灘(ぎんしゃだん)が思い浮かびます。
向月台は、その上に登って月を愛でる装置、銀砂灘は、中国の西湖のさざ波を模した装置らしく、どちらも江戸時代になってから現代の姿になったらしい…
でも、観音殿の1階に座して、東山から登る月を眺めることを想像すれば、向月台と銀砂灘は室町時代から今のような形で存在して、足利義政の審美眼を楽しませたような気がしてなりません。
私も観音殿から月を愛でてみたい…と思ったのでした。
つづき:2017/07/07 大阪でビバった旅行記 #2-11 (完結編)



