つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

懸案の鶴岡市の街歩きを決行 #1

10月27日(日)から別邸に帰省中です。

今回の帰省は、今シーズン最後のドライブ帰省の予定で、もし天気が良くかつ気分が乗れば、懸案にしている山形県鶴岡市の街歩きを決行したいなと考えていました。
鶴岡には、2019年9月の帰省の際に出かけたのですが(記事)、このときは、羽黒山で思いつきで始めた「登山」に思いもよらず時間と体力を使ってしまい羽黒山の後は加茂水族館にしか行けなかった過去があります。
羽黒山から加茂水族館への移動の途中、鶴岡の市街地で、なんとも魅力的建物たちの近くを通りながら、「いつかは絶対に鶴岡の街歩きをする」と心に決めました。

「心に決めた」のはいいのですが、その後、なかなか機会に恵まれず(って、その気になれなかっただけ)、2021年には津軽半島(記事)酒田(記事)2022年には弘前(記事)、そして今年青森市へ泊まりがけ(記事)と、別の近県ドライブを楽しんできました。

これではイカ と思っていたところ、一昨日の夕方、天気予報を見ていたところ、10月31日は良い天気になるということから、急遽、鶴岡の街歩きの決行を決めました

さっそく、ネットで観光情報を収集し、こちらのサイトから観光マップをダウンロードして、クルマの駐車場所街歩きルートを検討しました。

すると、驚いたことに、無料駐車場が数か所にあるんですな (土日祝日には市役所の駐車場も無料で使える)

そして、使う駐車場といくつかの観光スポット(致道博物館最優先)と巡る順番を決め、準備完了となりました。

   

当日(昨日)は、9:10頃に別邸を出発し、R7をしばらく走ったあと、岩城ICから日本海東北道(日東道)に乗り、まずは象潟ICを目指しました。

日東道は、秋田・山形県境の象潟IC~遊佐鳥海ICミッシングリンクになっていて、その代わりなのかどうか知りませんが、岩城IC~象潟ICは無料で走れます

その象潟ICのひとつ手前の金浦ICで一般道に降りるクルマ(とくに大型車)が多くて、こんなところ(失礼)で降りてどこに行くんだろうと不思議に思ったのですが、どうやら、象潟ICからR7に出るまでの道が長くかつ細いことから、日東道を走り慣れた人たちは、R7にほぼ直結している金浦ICで降りてR7を走った方が良いと判断しているようでした。

R7を走って県境を越え遊佐鳥海ICから再び日東道に乗ると、ちょこまかと設置されている料金所を通過し、鶴岡JCTから山形道に入り、鶴岡ICから一般道に降りました。

そして、一般道をしばし走ると、目的地鶴岡公園東駐車場に到着しました。

約140km所要時間2時間15分のドライブでした。
一般道をけっこう走ったし、日東道・山形道ともにほぼ片側1車線で制限速度も低いので、どうしても時間がかかります。やたらとトロトロ走るクルマもいたし…

   

さて、お昼時ではありましたが、しっかりと朝食を摂ってきたので、朝飯前ならぬ昼飯前にちょっと観光することにしました。

最初の観光スポットは、「旧風間家住宅 丙申堂」「風間家旧別邸 無量光苑 釈迦堂」にしました。

隣接するブロックにあるこの2つの観光スポットは、その名のとおり、風間家のそれぞれ住宅(兼店舗)別邸だった建物です。

まずは明治29(1896)年丙申(ひのえさる)の年に風間家7代当主・幸右衛門さんが住居兼営業拠点として建てた「丙申堂」

堂々とした薬医門(ご参考)をくぐると、

正面に聖徳太子光寿無量堂」が建っているのですが、実は私、裏側から入ったので、写真は聖徳太子光寿無量堂」の裏側と、内側から見た薬医門です。

そして主屋の前には、風間家の家紋「丸に二重亀甲花菱」が描かれた提灯となにやらシンボルマーク的なモノと「風間銀行」と書かれた提灯が掲げられていました。

風間家(私は今回初めて知った)についてリーフレットから引用しますと、

風間家の祖は、沢海(そうみ)(現新潟県新潟市沢海)の武士であったが、商人となり村上、酒田を経て、鶴岡には18世紀後半に移住したと伝えられている。その後、鶴岡城下で藩の御用商人として呉服太物屋を営み幕末には鶴岡第一の豪商となった。
明治期には貸金業に転じ、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長し、鶴岡の産業振興に力を注いだ。その一方で児童福祉などの慈善事業を行い、現在は育英事業等に尽力している。

だそうです。
Wikipedia「風間氏」「沢海藩」を見ると、事情や経緯はもっと複雑で、どうやらご先祖様は沢海藩の改易(1687年)に伴って商人に転じ、その後、幾重もの分家を経て、一族の一人が鶴岡に土着したっぽい

そして、鶴岡風間氏の7代目が、風間銀行を設立し、その後、他の銀行と合併して現在の荘内銀行に至る、ということだそうな。

主屋に入ってすぐ、現在は丙申堂の受付になっている場所は「みせ」というエリアで、ここで銀行業務を行っていたそうな。

ここで丙申堂の平面図を。

「部屋数19室」というだけでもひやぁ なんですが、多くの部屋が12畳敷きだというのがなんともはや…です。

「みせ」の前を通って左に曲がり、居住区に入ったところの眺めが、、、

どこまで続くこの土間(石敷き)
その名も「とおり」というだけのことはあります

しかも、「とおり」の両側の長押も天井の竿縁も、

 長さ8間(約14.5m)の一本物の杉材
 使用しています

ですと

#2以降で紹介する予定の「いたのま」にあった大黒柱も、

なんとも見事

使っている素材だけでなく、

釘隠しも、風間家の家紋の一部「花菱」はもちろん、あり、なんだろこれ? 的なものありと、部屋や場所によって使い分けられていなど、芸も細かい

いやはや、眼福です。

「金に糸目をつけない」施主に巡り会った職人さんは、もちろんプレッシャーはあるでしょうけれど、やりがいハンパないのでしょうねぇ

そして、わたしのようなトーシローは、こんな豪勢な建物を観るときは、非日常性と細部に至るまでの美しさをひたすら楽しむのでありますよ。

ということで、「#2」につづきます。

つづき:2024/11/02 懸案の鶴岡市の街歩きを決行 #2