つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記(その12)

「2016年師走の仙台旅行記(その11)」のつづきは、松島・瑞巌寺本堂のお話です。

瑞巌寺本堂

外観立派なのですが、凄かったのはその内部でした。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成しております。

という瑞巌寺、さすがは伊達男伊達政宗公による造営だけあって、安土桃山時代の残り香が漂うような、豪華絢爛なものでした。

残念ながら内部は撮影禁止のため、写真はありませんが(下の載せた写真は公式HPから拝借したもの)、まず、本堂デカい

お寺の本堂というよりは、内装の華麗さもあって、まるで御殿のようでした

「文王の間」はまさに大広間ですし、

瑞巌寺本堂・文王の間

その奥にある「上段の間」は、床・違い棚・帳台構え(但し戸ははめ殺し)を備えた書院造です。

瑞巌寺本堂・上段の間

床(とこ)には豪華絢爛火灯窓が設えられていて、上には仙台藩第5代藩主・伊達吉村公の筆になるという「圓満」の額
どうしてこの場に「圓満(円満)」なのでしょうか?

勝手に想像するに、先代藩主・綱村公の時代に発生したお家騒動伊達騒動)や藩財政の逼迫の中、仙台藩の立て直しに尽力して「中興の英主」賞賛されている吉村公にとって、藩運営の秘訣「圓満(円満)」だったのかもしれません。

それはそうと、瑞巌寺本堂の「上段の間」の向かって左手、普通の書院造では付書院のある場所が、一風変わっていまして、小部屋になっていました。

「上々段の間」と呼ぶのだそうで、明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際には、この部屋が行在所(あんざいしょ)になったのだとか。
6畳間ですが、壁が屹立していて、それでいて天井が高く、かなり狭苦しい感じ…。 
寝室としては、もうちょっと広い部屋か、逆に天井が低い部屋の方が快適ではなかろうかと思いました。

   

ところで、毎年7月の第3月曜日は国民の祝日「海の日」です。
「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」というこの「海の日」は、毎年7月20日「海の記念日」が元になっています。
そして、「海の記念日」は、 こちらの資料によれば、昭和16年(1941)に国が制定したものだそうで、

明治天皇明治9年の東北・北海道御巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」で、青森から函館を経て、横浜に御安着された日にちなんだものです。
軍艦以外の汽船で、当時の最優秀新造船であった「明治丸」を御召し船とされたことが、将来の海洋国家日本を予言するものとして、国の記念日とするにふさわしい日とされたわけです。

なんだとか。

こんな理由で定めた記念日をで「国民の祝日」にしてしまって良いものだろうかと思いますが、ことしから「国民の祝日」になった「山の日」に至っては、

2013年6月30日に山の日制定議員連盟が開いた総会にて、6月上旬、海の日の翌日の火曜日、お盆前、日曜日を祝日とする案の中から、お盆休みと連続させやすい利点があるとしてお盆前の8月12日を祝日とする案が採用された。

と、かなり酷い

そもそも『海の日』があるなら『山の日』も」の感覚が濃厚で、この調子だと、「川の日」「湖の日」「森の日」「木の日」「花の日」・・・、はたまた「雷の日」とか「虹の日」なんてのも出てくるかも…。
もっとも、森羅万象神性を感じて「八百万の神」を崇める日本人らしい感覚といえなくもありませんな。

話が逸れたところで、きょうはお終いです。

つづき:2016/12/31 2016年師走の仙台旅行記(その12)