つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

半年前の信州旅行記(その29)松本編⑪

「半年前の信州旅行記(その28)松本編⑩」のつづきも重文 旧開智学校の見聞録です。

きょうは旧開智学校内部を見てみましょう。

と、その前に、平面図を。

現代の小学校との違いに気づきませんか?

そりゃ、普通の小学校に「明治天皇御座所」なんてのはありませんが、そのことではなく、普通の小学校・中学校・高校の校舎を思い浮かべれば、建物の真ん中を廊下が貫いている構造というのは、そうそうないと思います。
ほとんどの場合、校舎東西に伸びていて、北側に廊下南側に教室があり、さらに教室の中では、西側に黒板があったはずです。
これは、多数派の「右利き」の児童・生徒のために、筆記する右腕の影がノートを覆わないよう、左から光を入れるためです。

照明器具を簡単に設置できる現代でもこうなのに、明治初年に建てられたこの旧開智学校がこんな構造で大丈夫だったのでしょうか?

教室を覗くと、

もともと窓が小さくて、南側の教室でもこんな風。仮にが開け放たれていたとしても、あまり明るくなかったような感じです。

   

話題を変えまして、旧開智学校細部を見てみましょうか。

ドアを見ると、この装飾とか、

「杢目」手書きしちゃっているし、

見上げれば、こんなステキ照明器具とか、

はたまたステンドグラスまであって、

まさしく「一品もの」学校(校舎)であります。

当時の筑摩県参事(知事)永山盛輝さんが、

教育を立県の指針とし、文明開化政策を推し進めたが、

というだけあって、意気込みになって残っています

感心しました。

「その30」もまだ旧開智学校のことを書きます。

つづき:2016/02/27 半年前の信州旅行記(その30)松本編最終回