つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

肌寒かった関西旅行記(その20・京都編⑦)

「肌寒かった関西旅行記(その19・京都編⑥)」のつづきも二条城

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私は、修理工事中唐門をくぐると、自分をじらすように、二の丸御殿に上がらず、まず二の丸御殿の東側のゾーンへと向かいました。
そして休憩所を覗くと、、、あらまぁ~

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お土産売場すんごいことになっています

あの濃い浅草の仲見世をさらに濃縮したみたいで、近づきがたいものを発散していましたので、すぐに踵を返して、土蔵を見物することにしました

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一見、どうってことのない土蔵ですが、桃山時代末~江戸時代初期(寛政期)に造営・改修された建物で、重要文化財ですと。
ここで左後ろを振り返ると、大きな建物が建っています。

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二の丸御殿「台所」で、その名のとおり、食事を作る施設です。
HPでは、

寛永期に建てられたもので,本瓦葺となっています。入口は長方形の大きなケヤキの柱が立ち,両開きの扉と内開きのくぐり戸で構成されています。内部は広い土間と板敷の広間,御膳所や料理の間などの部屋で構成されており,この板敷の広間では,まな板を置いて調理を行い,御膳所などで盛り付けが行われていました。現在,一般公開はしていません

となっていますが、私が出かけたときには台所を会場として写真展「CHANEL NEXUS HALL presents NAOKI「MOOD-9 GIRLS」が開催されていました。

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この写真展は、

東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで2012年に開催された展覧会のために、NAOKIが日本人モデルたちと1年以上の年月をかけて挑んだ作品のシリーズで、作品ごとにテーマを設け9名のモデルを配置。現在の日本の女の子が取り巻くさまざまな環境をテーマに、モデル選びからスタイリングまで全てのディレクションをNAOKIが行い、日本独自の文化的背景と、日本人女性が内に秘める美意識やエネルギーが、時代のムードとともに表現されている。
今回の写真展では同作品のほか、二条城内にて新たに撮影された新作や、300名以上の若手モデルたちが登場する。「MOOD-9 GIRLS」の参加モデルが選ばれる元にもなったフィルム「ONE SECOND」も紹介されるので、そちらも要注目だ。

というもので、400年近く前の建物と、現代日本のファッショナブルな写真との対比が刺激的でした。

130803_1_06 しかも、普段は公開されていない建物の内部も見られたし(ワイルド小屋組カッコイイ)、板敷きの広間にも上がることができて、レアな体験ができました
上に載せた画像は、会場でいただいたカードで、これが「二条城内にて新たに撮影された新作」だと思います。

   

二条城二の丸御殿は、「肌寒かった関西旅行記(その5)」で、

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遠侍(とおざむらい)⇒式台⇒大広間⇒黒書院⇒白書院と進む過程が、トーナメントを勝ち進んでいくみたいな感覚で、ドキドキ&ワクワク

と書いたように、5つの建物が雁行状に配置されて、奥に行けば行くほど立入要件が厳しいものになっていたようです(「江戸城の『大奥』は本丸の半分を占めていたらしい」で紹介した江戸城本丸の「表」なんかも基本的に同じ構造)。

この二の丸御殿でもっとも「公式の場だった「大広間」には、人形が配置されて、将軍・徳川慶喜が大政奉還を発表した様子が再現されています。
これは、私が高校の修学旅行で二条城に来たときにも見た記憶があるのですが(イメージよりも狭い部屋だと思いましたっけ…)、今回、このシーンを見て、あることに気づきました

130803_1_10 それは、大広間に居並ぶ諸大名が大紋長袴」姿でかしこまっているということ。
でも、「大政奉還」の様子として頭に浮かぶのはこちらです。

130803_1_09教科書や事典でおなじみの、聖徳記念絵画館の収蔵作品、邨田丹陵「大政奉還」では、諸大名はいわゆる姿、しかも、袴が短い(足袋を履いた足が見えます)「半裃」です。

一体、実際のところ、どのような装束で諸大名が集まり、どのような装束で慶喜さんが大政奉還を発表したのでしょうか?(丹陵は少なくとも二条城二の丸御殿大広間を取材していない気がする…)

御存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示ください

   

ところで、二条城・二の丸御殿は、桃山~江戸初期らしい華やかさにあふれた内部と、デカいことはデカいけれど、基本的にシンプルな外観とで「一回で二度美味しい」魅力的なスポットです。

ただ、残念なことに、御殿の内部は撮影禁止です。
これ、私が想像するに、撮影可にすると、見物客をさばけなくなるからではなかろうか…。
私が訪れたときも、国内外の見物客が列をつくって「見学順路」を歩いていました。もし、撮影可だと、渋滞必至だと思いました。
仕方ないんだろな…

さて、障子の白さが清々しい二の丸御殿と庭園の緑を楽しみながら、

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将軍のプライベートエリア、二の丸・白書院までやってきました。

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外からしげしげと見物しますと、これは何でしょ?

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桟が入った通風口と違って、こちらは小さな戸がついています。

もしかして、、、、トイレの汲み取り口?

 

江戸時代、将軍様のトイレ「引き出し式」だったと聞いたことがありますが(川越の喜多院江戸城から移築されたという畳敷きのトイレを拝見しましたっけ)、これはその「引き出し口」っぽく見えます
実際のところは不明ですが…

   

先を急ぎ、なんとなく間抜けに見える楼門を通り、本丸に入りましょう。

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二条城のリーフレットによると本丸は、

1626年(寛永3年)三代将軍家光の命により増築されたものです。もとは五層の天守閣がそみえ壮麗を誇っていましたが、1750年(寛延3年)に雷火により焼失、また1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎もなくしました。

だそうで、日本の建物って、ホント、に弱い…

現在の本丸御殿は、天守台から見下ろすと、こんな具合。

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ほぼ真正面に比叡山がくっきり見えています(この記事を書いていて気づきました)

で、もう一度リーフレットを転記しますと、

現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年~94年(明治26年~27年)にわたり、ここに写し建てられたものです。この建物は、1847年(弘化4年)頃に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なものであり、重要文化財に指定されています。(内部非公開)

だそうです。

喜多院に残る江戸城の遺構にしても、この「本丸御殿」にしても、解体して移築できるというのは、日本の建物の強みだと思います。

西洋式の建物でも明治村のように移築しているケースはありますけれど、移築に関しては、和風建築の方がずっと簡単なはず。

平安京に都が定まるまで、頻繁に遷都が行われたわけですが、そのときも、宮殿を始めとする主な建物(一部のお寺も)は解体して、新しい都に移築したのだとか。いわゆるReuse(リユース)ってヤツですな。エコなことでございます。

   

本丸エリアの南西部には梅林がありまして、梅の木は、小さな実をつけていました。

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この、採って梅酒にしたり梅干しを作ったりしないのでしょうか?

そんなことを考えながら歩いていると、右手にが見えました。

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なんとも簡素な門です。
外側はどうなっているのかと思って、JR二条駅に向かって歩く途中(さすがに地下鉄一駅だけ乗ったりはしませぬ)注目していると、、、、

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おわぁ 橋がない

なるほど、、これなら簡素ながら、ある意味、東大手門より堅固な門かもしれません

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二条城探訪マップ(この記事を書くにあたって見つけました。このマップを見ながら歩けば、二条城をもっと楽しめたかも…)なるものによれば、この「簡素ながら堅固な門」「南門」という名前で、

大正御大典のために新たに設けられた門

だとか。

「大正御大典」というのは、大正天皇即位式大嘗祭を始めとする一連のイベントのことで、即位式大嘗祭京都御所で、そして二条城では「御饗宴」(祝賀晩餐会)が行われたようです(天皇の代替わりの儀式についてもっと知りたい方には、猪瀬直樹「天皇の影法師」がお薦め)。

天皇の影法師 (中公文庫) <nobr>天皇の影法師 (中公文庫)</nobr><nobr>
価格:¥ 700(税込)
発売日:2012-04-21</nobr>

ちなみに、天皇の代替わりの儀式を限りなく要約すれば、①践祚神器の引継など皇位の継承)、②即位の礼(「戴冠式」に相当)、大嘗祭と、3段階からなるのですが、この3つの儀式をすべて東京で行ったのは今上天皇が初めてだとか。

   

現在、東京国立博物館(東博)では特別展「和様の書」が開催中(9月8日まで)ですが、次の特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(10月8日~12月1日)では、

二条城からは、黒書院一の間、二の間の障壁画全69面と、二条城の象徴といえる大広間の「松鷹図」15面を展示。二条城を空間として壮大なスケールで再現します。

だそうです(こちらのサイトをご参照方)

「その5」で書きましたように、二条城では障壁画の模写と修復作業がずっと行われていて、完成した模写は現物と差し替えて「展示」され、修復作業が完了した原画は「展示・収蔵館」に保管・展示されているわけですが、その原画が大挙して「お下り」して、東博・平成館にその空間を再現するという趣向だとか。

こりゃ見逃せませんな。

ということで、二条城の記事がこんなに長くなるとは思いませんでした…]

つづき:2013/08/04 肌寒かった関西旅行記(その21・京都編⑧)