つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

北国流れ旅[札幌編]#2-3

「北国流れ旅[札幌編]#2-2」のつづきです。

今回もサッポロビール博物館の見聞録なんですが、どんなことを書こうか🤔 と思案しつつ、ネットで情報を漁っていったところ、ありゃま😲の事実が判明しました。

その前に…。

開拓使麦酒醸造所は、1882年の開拓使の廃止によって、所管が開拓使⇒農商務省工務局(現・経済産業省)⇒北海道庁と変更された後、1886年には大倉喜八郎に払い下げられて「大倉組札幌麦酒醸造所」として民営化されます。さらに翌1887年には、大倉が広く出資を募り、大倉のほか渋沢栄一浅野総一郎らが加わって「札幌麦酒会社」がスタートしました。

なお、札幌にある大倉山ジャンプ競技場(旧称:大倉(山)シャンツェ)の名前は、その建設費💰を賄って札幌市に寄贈🎁した大倉喜七郎氏(大倉喜八郎の御子息)にちなむものだとか。

で、札幌麦酒は、販路拡大を目的の一つとして、1903年東京工場を操業させ、札幌・東京の2工場体制を確立。

このパネルの東京工場の写真のキャプションには、

吾妻橋近くの隅田川沿いに建設された東京工場

とありますが、吾妻橋近くの隅田川沿い」といえば、アサヒビールの本社のある辺りか?

調べてみると、こちらのサイトによれば、まさにアサヒビールの本社がある一帯が札幌麦酒の東京工場跡地で、幕末には久保田(秋田)藩下屋敷があった場所なのだそうな😲
これもまたきょうのきょうまで知らなかったぁ~😲
久保田藩の上屋敷跡には行ったことがあるし(記事)中屋敷のあった場所も知ってはいましたが、下屋敷がかの地にあって、その跡地がこうなっているとは…。
なんで札幌麦酒の工場跡地にアサヒビールの本社が立っているんだ? ということは追々…😅

   🍺

さて、1890~1900年頃の日本のビール市場はどんな感じだったかというと、

札幌麦酒(札幌ビール)日本麦酒(恵比寿ビール)大阪麦酒(朝日ビール)麒麟麦酒(麒麟ビール)4強が鎬を削っていたそうな。

札幌ビールのシェアが1895年頃には意外に小さかったことに驚きますが、やはり大市場の近くで製造するのは「生鮮飲料」だった当時のビールには重要だったんでしょうね。

だからこその札幌麦酒の東京進出だったわけで、最もその割を喰ったのが、東京を地盤とする日本麦酒(JR恵比寿駅「恵比寿ビール」由来の駅名)なのも当然でしょう。

そして、

札幌麦酒の東京工場が稼働しはじめると、東京市場で圧倒的な人気を誇っていた日本麦酒の「恵比寿ビール」大打撃💣を受けた。そこで日本麦酒の社長馬越恭平は、業界の再編成を模索。1906(明治39)年、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の3大ビール会社が合同して「大日本麦酒株式会社」を設立。終始3社合同を主導した馬越が初代斜長に就任した。

だそうです。
会社は一緒になっても、ビールのブランドはちゃんと残したみたいで(そりゃそうだ😅)、3ブランドのビールびんが並べて展示されていました。

 

しっかりとブランドマークを残しつつ、同一会社の製品らしい統一されたデザインで、なかなか見事✨だと思います。

一方、日本全体のビール需要も伸び続け、1906~1939年の30年あまりの間に、なんと10倍に❗

1930年頃の落ち込み昭和恐慌のせいかな?

そして、戦時色が強くなってくると、1940年には家庭用ビールが配給制になり、1943年にはすべてのビール会社の銘柄別のラベルが廃止されたそうで、その味もそっけもないラベルを身にまとったビールのなんともマズそうなことよ😱

そしてそして、戦後落ち込みもまた大きい😱
時代を30年分巻き戻した感じです😩

そんなタイミングで大日本麦酒に起こった大きなできごとが、1949年9月過度経済力集中排除法の適用を受けての会社分割でした。

旧札幌麦酒(サッポロ)旧日本麦酒(ヱビス)の新・日本麦酒朝日麦酒(アサヒ)の2社に別れることになり、前述の旧札幌麦酒 東京工場(大日本麦酒 吾妻橋工場)はこのタイミングでアサヒビールの工場になったのでした。
大日本麦酒の各工場の帰属先については、Wikipediaにうまく記載されていました。

これを見ると、アサヒは、うまいこと旧朝日麦酒時代には持っていなかった首都圏の工場を手に入れたな…と思います。

会社分割が行われて3か月後の1949年12月、禁止されていた銘柄別ラベルが6年ぶりに復活します。
ところが、何を考えたのか、日本麦酒は長く浸透していたはずの「ヱビス」「サッポロ」ではなく「ニッポンビール」という新しい名称を採用してしまいました。

ラベルにはサッポロビールのシンボルである五稜星★が描かれ、「ヱビス・サッポロ改めニッポンビール」というラベルも貼られていたそうですが、サッポロビールを愛飲してきた人には「ニッポンビールって何だ?」となるでしょうし、とりわけヱビスビールを好んできた首都圏受けが悪いのは必至でしょう👊
ビールを選ぶ際、製造会社で選ぶ人なんてごく稀で、基本的に銘柄(ブランド)で選ぶ人が大半だろうになあ。
せっかく、大日本麦酒の頃には 3ブランドを残していたのにねぇ…。もっとも、ヱビスとサッポロを作り分けるより、同じモノを作ったほうがコスト💰は安くなるだろうけれど…😩

でも、案の上、

新ブランドは消費者への訴求力が弱く、ビールの販売量が年々伸びているにもかかわらず、日本麦酒は苦戦をしいられた。

だそうです😩

結局、

数多くのビール愛飲家から「サッポロビール」を懐かしむ声が後を絶たず、1956(昭和31)年、その声に応えて、まず発祥の地・北海道でサッポロビールを復活させた。その翌年には全国で復活販売。そして1964(昭和39)年1月、社名もサッポロビール株式会社に変更した。

とな。
遠回りしましたなぁ。

一方、「ヱビスビール」が復活したのは、「サッポロビール」の復活に遅れること15年1971年12月のこと。もっとも、28年ぶりに復活したのは「ブランド」だけで、中身は、日本初の「麦芽100%」のプレミアムビールとしての登場でした。

ふ~、疲れた…。
ここでひと息入れさせていただきます。

🚩つづき:2026/05/11 北国流れ旅[札幌編]#2-4