「北国流れ旅[札幌編]#2-5」のつづきです。
3泊4日の札幌遠征、3日目(4月19日)の旅行記です。
この日は、札幌在住の旧友👤と久しぶりに再開して昼食を食べる約束にしていましたので、11:00🕐までにホテルに戻ってくる予定で、近場を観光しました。
出かけた先は、北海道庁旧本庁舎、通称「赤れんが庁舎」です。
この建物は、「MISIA星空のライヴXIII GRAND HORIZON」札幌公演のチェックインスタンプに採用されるほど、北海道を象徴する建物でもあります。
私は以前にもその外観を眺めただけでなく、内部を拝見したこともありますが、2019年に始まった大規模修繕工事が昨年7月に完了し、リニューアルオープンして1年も経っていないということで、赤れんが庁舎に行ってみることにしました。
開館時間をHPで調べると、なんとなんと8:45~21:00😲
この2日前、札幌市資料館(旧札幌控訴院)の開館時間が 9:00~19:00と知って「遅くまでやってるなぁ😲」と驚きましたが、上手(うわて)がいました😲
まさか、北海道庁の職員の勤務実態に合わせて赤れんが庁舎の開館時間を設定しているわけじゃありませんよね😂
冗談はさておきまして、朝食を摂ると、いつものようにアイスコーヒーを淹れて(今回のホテルの部屋は製氷機と同じフロアでした😊)飲んでひと息入れて🚬、9:20頃にホテルを出発しました。
テクテクと歩いて行くと、吉野家があったのですが、店頭に貼られていたポスターは、
なんと「ジンギスカン定食」です😲
どんどんメニューが豊富になっている吉野家ですが、北海道限定とはいえ、「ジンギスカン定食」まであるとは😲
ジンギスカンLOVER💕 の私としては、吉野家で気軽にジンギスカンを食べられる北海道民がうらやましいぞ。
そして、大通公園を通過。
今回もまたテレビ塔に上るのはおあずけのようですな。
そして、ここ数年はご無沙汰している札幌グランドホテル(すごく良いホテルなんだけど、氷はルームサービスで持ってきてもらわないとならない😥)の角を左折し、道庁前の通りへ…。
赤れんが庁舎を意識しているに違いないこの街路灯の支柱が実にイイ👍
ところで、北海道開拓の村に立つこの建物、
これが1873年に建てられた初代の開拓使札幌本庁舎(を復元したもの)です。(写真は2017年1月に撮ったもの)
この建物が1879年に焼失🔥したため、1886~88年にわたって建設されたのが、現在の赤れんが庁舎です。
既に開拓使は1882年3月に廃止されていましたので、「初代北海道庁」と言えますな。
ステキな建物です💕
赤れんが庁舎の右奥に見えるビルが、現在の北海道庁(仕事で来たことがある)ですが、赤れんが庁舎の存在を邪魔することのない、なかなか良い色合いだと思います👍
もそっと近づいて…。
この「赤れんが庁舎の設計の中心を担った」とされるのが、平井晴二郞という人で、赤れんが庁舎のリーフレットによれば、
1856(安政3)年~1926(大正15)年
金沢市生まれ。1875(明治8)年に文部省第1回留学生として、米国に留学。当時の最新技術・知識を持ち帰り、幌内鉄道の敷設や旧手宮機関車庫・赤れんが庁舎の設計等をなし遂げました。のちに鉄道院副総裁として東京駅の建設に携わるなど、鉄道の分野でも活躍しました。
だそうです。
Wikipediaでは平井さんのことを「鉄道技術者」という紹介で、その建築家としての業績についての記述はありませんが、リーフレットに出てくる「旧手宮機関車庫」は現存していて、私は2020年10月に小樽に行った際に見てきました。
直線的な赤れんが庁舎と違って、むくりのついた屋根といい、扇形の平面といい、なんともcute💕な建物でした。
ところで、私は赤れんが庁舎に入る前、しばし前庭を散歩しました。
池ではオシドリがのんびりと泳いでいるし、
ハクモクレン(コブシかもしれぬ)やオオヤマザクラ🌸が咲いているしで、
なんとものどかで、気持ち良い春の札幌の朝でした。
そうそう、北海道庁の正門を入ってすぐのところに、こんな案内板がありました。
2021年8月に行われた「東京2020オリンピック」のマラソン競技の案内板です。
東京の酷暑💦から逃れて札幌で実施されたマラソン競技は、私もGoogleマップと見比べながらTV観戦していました。
北大のキャンパス内を南下してきたランナーたちは、北海道庁の敷地内に入り、赤れんが庁舎前で左折して、正門から出て行ったんでしたっけねぇ。
私は、このマラソンを見て、創成川という川の存在を知った次第でして、開拓期にはこの創成川が街作りの重要な「基線」だったことを知ったのは、今回の遠征でした。
それにしても、北海道庁の敷地内は、良い観光スポット、良い散歩エリアで、「公園」と呼んでも良いかもしれません。
こんな都道府県庁はそうそう無いと思います。
🕶
この記事を書いているうち、ある重要人物✨についても触れておかなければならないと思い立ちました。
その人物とは島義勇です。
北海道開発局のHPに「札幌市の街づくりの先駆者-島義勇」と題する短いコラムがありました。
開拓の歴史を振り返ったときに欠かせない人物として佐賀藩士・島義勇がいます。島は開拓使主席判官として開拓使本府建設を立案し、札幌市の街づくりの先駆者と言われています。
島は任命後、現在の北海道神宮付近の丘に上り、眼下に広がる札幌の原野をいつの日か世界一の街に、と夢を描き「他日五洲第一の都」という漢詩を残しています。でも、維新政府との軋轢により1年ほどで解任され、北海道を去り、その後「佐賀の乱」で明治7年に処刑されます。
島の銅像は北海道神宮と札幌市役所に設置されています。夢を描いた時から150年。100万都市となった札幌市を見て何を思っているのでしょうか。
だそうです。
この島義勇は、この「北国流れ旅 [札幌編]」シリーズで既に登場しています。
それは札幌市資料館(旧札幌控訴院)の見聞録(#1-4)での「さらし首」の話の中で、
調べたら、「さらし首」は、明治12(1879)年1月4日の太政官布告で正式に廃止されるまで行われていて、明治7(1874)年には、佐賀の乱のリーダーだった江藤新平と島義勇が斬首&さらし首になったらしい。
と書いていました。
この島さん、上に貼ったリンク先によれば、開拓使主席判官を解任された2年後には秋田県権令(副知事相当)に任命され、「八郎潟干拓施策を打ち出すが4ヶ月で解任」だそうです。
八郎潟の干拓プロジェクトが実際に動き出すのは終戦後のことですから、その130年以上も前に施策を打ち出していただなんて…😲
スケールがデカ過ぎて、政府の中で浮きまくったんでしょうねぇ🥺
🕶
それでは赤れんが庁舎の中へ…。
と行きたいところですが、その話は「#3-2」で😅
🚩つづき:2026/05/18 北国流れ旅[札幌編]#3-2











