「あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #1」のつづき、宮城遠征 2日目、5月18日(日)のお話です。
前日と打って変わって朝から良い天気
気温も上がるとのことですので、予定どおり半袖シャツで過ごせそうです。
ホテルで朝食を摂った後、ビールが染み込んだウインドブレーカーを他の「要洗濯」と一緒にビニール袋に入れ、一応持ってきた長袖シャツと共にキャリーバッグに詰め込みました。
そして、10時ちょい前にホテルをチェックアウトし、まずは仙台駅へ。
仙台駅の新幹線改札口(帰りの新幹線はこまちなので、北側の中央口改札)近くのコインロッカーにキャリーバッグを投入して、さて、行動開始です
まずは仙台駅から地下鉄東西線に乗って青葉通一番町駅に移動しました。
ここからの徒歩ルートはこんな感じ。重複するルートは赤と青で色分けしました。
前日と同様に、山鉾が駐車している一番町のアーケード街を南に歩いて、前日には断念した「東北大学史料館」へと向かいました。
七十七銀行の山鉾は「七福大太鼓山鉾」だそうで、どこまでも「七」にこだわるところがお茶目でもあります
アーケード街を抜けた私は、南町通り、五ッ橋(いつつばし)通りを横断し、東北大学の片平キャンパスに到着しました。
私が入った「北門」は、「門」とはいいながら扉のようなものはなく、365日・24時間、クルマも人も自由に入れます
北門を入ってすぐ右手には、スクラッチタイル貼りのステキな建物があるのですが、
この建物の名前は「WPI-AIMR本館」ですと
なんじゃそりゃ
旅行後に東北大のHPを見たのですが、「WPI = World Premier Inernational Recerch Center Initiative:世界トップレベル研究拠点プログラム」、「AIMR = Advanced Institute for Materials Reserch:材料科学高等研究所」ということだそうで、ますます、なんじゃそりゃ です
まぁ、私のような凡人には縁の無い施設なのだろうと解釈して歩を進めます
東北大学史料館に行く前に、現在、東北大学出版会が使っている「東北大学本部棟3」なる建物を外から眺めました。
白ペンキ塗りの下見板貼りに瓦屋根と、和洋折衷のこの建物は登録有形文化財だそうで、説明板によると、
旧仙台医学専門学校
博物・理化学教室
六号教室
明治37(1904)年建築 木造平屋建
旧仙台医学専門学校の多くはキャンパス内の整備に伴い取り壊されたが、この2棟の建物は大正13(1924)年頃に東西に切り離されながらも、外壁や建具・戸当りなど建築当初の状態を残し、木造の大学校舎という明治時代の雰囲気を今に伝えている。
これらの建物は、中国の文豪魯迅こと周樹人が仙台医学専門学校に留学した際に学んだ教室でもある。(以下略)
とのこと。
この「六号教室」は、「東北大学魯迅の階段教室」として、祝日を除く水・金曜日には内部参観もできる(要予約)みたいです。
これらの建物の裏手に、正門からの「目抜き通り」に面して、東北大学史料館のはす向かいに、現在は「東北大学本部棟1」として使われている建物があります。
この建物も登録有形文化財で、
旧東北帝国大学 理学部化学教室棟
昭和 7. 9 (1932, 34)年建築 鉄筋コンクリート造り3階建
3期に分けて建設され、昭和2(1927)年に東側部分(現在は改築)、昭和7(1932)年に南東角部分、さらに昭和10(1935)年に南側部分が完成し現在の形となった。建設当初は教授室、会議室の他、実験室が設けられた。昭和48(1935)年の理学部の青葉山移転に伴い1階部分は医学部、理学部、文学部等の標本類を収蔵する標本室として使用、その後さらに改修され平成23(2011)年以降は東北大学本部が使用している。(以下略)
だそうです。
この建物の前では、仙台らしくハギが葉を繁らせていました。
別邸の庭のハギも生長しているのかな?
その向かいには、
若い頃、この地で医学を学んでいた魯迅の像がありました。
仙台市博物館の裏にも魯迅の像と記念碑がありましたっけ…
加えて、中国の江沢民国家主席(当時)お手植えの紅梅も…
1998年11月に来日した江沢民は(このとき、仙台にもやって来た)、その言動で、日本国民の「嫌中派」を一気に増やした記憶があるなぁ
ということで、いよいよお目当ての東北大学史料館
よしよし、開館してる
というところで、「#2-2」につづきます。
つづき:2025/05/22 あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-2










