つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

超久しぶりに象潟へ (後編)

「超久しぶりに象潟へ (前編)」のつづきです。

現在の象潟は、田んぼの中に点々とが生えたが点在していますが、文化元年(1804)の大地震で地面が隆起する前は、田んぼの部分に海水が入り込み、ちょうど、松島のような景観だったようです。

干上がった部分は水田に変えられ、本荘藩は丘になってしまったかつての小島を崩してこれも水田にしようとしたことは「前編」に書いたとおりです。
浅い潟に小島が点々と浮かび、水面に鳥海山の姿を写す様子は、さぞかし美しかったことだろうなと思います。
この日の鳥海山は、残念ながら、半分から上を雲の中に姿を隠しておりました。

田植えの直前・直後頃は、水田に写る鳥海山を眺めて往時(?)をしのぶことができるそうですが、今は稲刈りが始まる季節でございます。

   

補修中とおぼしき本堂にお参り。

本堂に向かって左側に大きな石碑があって、ただ「紅蓮尼の碑」と書かれた杭が立っていました、
『ぐれんに』って誰だ?」と、思いつつも、何の説明板もないので写真も撮らなかったかったのですが、このブログを書くためにいろいろ調べたところ、「おくのほそ道」を遡ること300年以上も前に、象潟と松島をつないだ人物だとわかりました。
詳しくはこちらのサイトとかこちらのサイトをご参照いただきたいと思いますが、そもそも、読みが「こうれんに」だというのが、なんともお恥ずかしい話で…

そういえば松島で象潟絡みの看板を見たことがあるぞ と思い出して、11年前の写真をコレクションから探したところ、見つかりました

「松島と象潟は夫婦(めおと)町です。」と大書きしてあって、

象潟の娘タニ(のちの紅蓮尼)と松島の若者小太郎恋物語が、
今も2つの町を固く結びつけています。

象潟にもおいでください。

ですと
あぁビックリした…
それにしても、地図にプロットすると、松島と象潟とはこんなに近いんだとこれまたビックリ

話を象潟紀行に戻しまして、本堂の左手にある廊下の下をくぐって庭園に歩を進めました。

立派なタブノキがあって、

その緑陰お稲荷さんの小さな社と、苔むした芭蕉の句碑がありました。

説明書きによると、

表に「象潟の雨に西施がねぶの花 芭蕉翁」裏に「宝暦13年癸未9月 願主本荘英良、滝沢、矢嶋、汐越、助力水戸行脚」と彫られている。芭蕉70回忌を記念して建立されたものである。

だそうです。
句が「おくのほそ道」に載っているものとビミョーに違うのはご愛敬でしょうか

この碑のすぐ近くに親鸞聖人御腰掛石」なるものがありました。
親鸞聖人が象潟にやって来たわけではなく、Wikipediaによると、

肥前島原の西方寺にあった親鸞が腰掛けたとされる石。
安永6年(1777年)切支丹ノ変を避けるために信者が蝦夷に輸送中、シケにあい、象潟に陸揚げしてここに納めたものであるといわれている

だそうです。

島原/切支丹といえば島原の乱を思い出しますが、島原の乱江戸時代初期寛永年間に起こったものですから、ここでいう「切支丹ノ変」別物です。
また、島原から蝦夷地に避難させるというのもかなり不自然
よく判りません

   

芭蕉象潟までやって来たのは、能因西行足跡を辿るためだったと言われています。
で、西行法師の歌桜」という標柱のあるがありました。

西行がこのを観て

 象潟の 桜は波に うづもれて
  花の上こぐ あまの釣り舟

と詠んだのかは判りません。
なにせ西行900年前の人ですから…

ところで、能因が詠んだ歌は、

 世の中は かくても経けり 象潟の
  海士の苫屋を わが宿にして

だそうで、西行の歌は能因の歌を踏まえた可能性が高そうですし、「おくのほそ道」

闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の 晴色またたのもしきと、蜑(あま)の苫屋に膝を入れて、雨の晴るるを待つ。

の部分も能因の歌を意識しているに違いありません

能因が3年間住んだという因島(by 芭蕉) は蚶満寺からちょっと離れた場所にあったらしい(地名としては現存)のですが、

芭蕉の句だけでなく、能因や西行の歌も、歌碑までは無理としても、説明板くらいはあってもよいのではないかと思った次第です。

   

小一時間かけてのんびりと蚶満寺の境内を散策すると、ちょうど昼時
すぐ近くの「道の駅・象潟『ねむの丘』」に移動して昼食を摂りました。

4階にある展望温泉「売り」「道の駅・象潟」ですが、温泉に入る準備はしていませんでしたので、2階のレストラン日本海を眺めながら海鮮丼をいただきました。

そして食事後は、しばし日本海を眺めました。
の色はキレイだし、飛島が見えるし、

心地良いし、

でも、鳥海山は見えない…

このあと、どこかに寄ろうかとも考えましたが、心身共にけっこう満腹状態でしたので、そのまま来た道をとって返して別邸に帰ったのでありました。

なかなか結構な往復150km弱のドライブでした。