つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

王子を歩き回った(最終回)

「王子を歩き回った(その6)」のつづきは、このシリーズ、ようやく最終回

北区飛鳥山博物館のミュージアムグッズに、コンなタオルハンカチがありました。

120317_1_01 このキツネは、博物館のマスコット、「コン吉」というらしい。
やはり、王子界隈でマスコットを探すとなれば、キツネに落ち着くのは、ごく自然なことでしょう。
このシリーズの(その2)とダブりますが、もう一度、広重の浮世絵「名所江戸百景 王子装束ゑの木 大晦日の狐火」を載せましょう。

120303_1_01名所江戸百景」は、118枚の作品プラス二代目広重による「赤坂桐畑雨中夕けい」と、総目録を合わせて、120枚大揃(セット)だそうで、初代広重によるトリの作品がこの「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」になります。

私の愛読書の一つ「浮世絵『名所江戸百景』復刻物語」の解説によりますと、

王子稲荷は関八州の稲荷の総元締めに当たり、大晦日の夜には稲荷の使いの狐たちが社近くの大榎に集まったという。木を高く飛んだ順に官位を授かり、榎の下で命婦装束に着替えて後方にある王子稲荷に参上したと伝わる。近隣の農家も狐らがくわえた骨から発する狐火の数で翌年の豊凶を占ったといい、画中にも狐火が無数に描かれている。月のない夜空と地上の狐火の対比が幻想的で美しい。大晦日の情景を描く本図は目録では最終に位置する。伝承の世界を見事に絵画化しており、詩情にあふれる作画を得意とした広重の面目躍如たる作品である。

とあります。

浮世絵「名所江戸百景」復刻物語 浮世絵「名所江戸百景」復刻物語
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:2005-03

作品に描かれている大榎は、残念なことに明治時代に枯れてしまったそうで、かつての狐の集会所(?)には、装束稲荷神社が鎮座しています。

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今回の王子探訪では、装束稲荷神社には行かず、狐たちの目的地の王子稲荷神社に行ってきました。

120317_1_03 私はちょいと道を間違えてしまいまして、坂道を上り、そしてかなり急な坂を下って王子稲荷神社に到着しました。

120317_1_04_2 私が下った坂には案内板(案内柱?)がありまして、こんなことが書かれていました。

稲荷坂
この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。この道は姥ヶ橋を経て、蓮沼村(現板橋区清水町)までつづき、そこで中山道につながっていました。この道は稲荷道と呼ばれ、中山道から来る王子稲荷神社への参詣者に利用されていました。

この説明を読みながら地図をたどると、おぉ、私にも土地鑑がある
十条駅の南隣りの踏切(朝はかなりの開かずの踏切)を渡って、姥ヶ橋交差点環七を横切り、西が丘サッカー場の近くを通って清水町国道17号線(旧中山道)に出るルートです 何度かクルマで走ったことがありますゾ

それはさておき、お稲荷さんの常として、王子稲荷神社の入口(正面ではなく稲荷坂に面した南東側)では狐さんが出迎えてくれました。

このペアがなかなか

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左の狐さん(台座は宝珠)は狐らしく端正でクールな雰囲気を醸し出しているのに対して、右の狐さん(台座は)は癒やし系でした。

ふつう、キツネ目と言えば、細くつり上がった目を指すものですが(例えば、有名なこちらのモンタージュ)、

120317_1_07_2 この狛狐さん(っつうのか?)ときたら、

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目は、細いことは細いのだけれど、こんなに垂れちゃって良いのでしょうか?

人間に欺されてしまった落語「王子の狐」と同じく、ちょいと抜けた感じなのが王子の狐の特徴なのでしょうかねぇ。

さて、丘の中腹を切り開いて建てられた気配の王子稲荷神社の社殿は、決して大きな建物ではないものの、密度の高さが感じられるものでした。

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あの急な稲荷坂を下ってたどり着いた王子稲荷神社でしたが、これでもまだまだ高い場所にあります。

社殿正面にはグランドレベルに通じる表参道があって、これがまた結構急な石段

こんな具合です。

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今にして思えば、お稲荷さんに付きものの朱色鳥居の連なりが、この王子稲荷神社にはありませんでした

そもそも鳥居の数が少ないですし、しかも石造り

なんともいわくありげなのですが、現時点では解明できていません

いわくありげといえば、この石造りの鳥居に彫られたこちらもいわくありげです

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文久二壬戌年十一月」と彫られています。

「壬戌」は「みずのえいぬ」「じんじゅつ」と読みます。いわゆる干支(えと)ですな。

西暦に直せば、1862年12月にこの鳥居が寄進されたようです。
ちょうど南方先生江戸にタイムスリップした頃のこと(こちらの年表をご参照方)。

それはさておいて、気になるのは、どうしてこんなにグニャグニャと彫られているのかということデス

干支の「壬戌」がまとまって中心軸からズレているなら何となく理解できますが、全体として左にねじれているし、とりわけ「壬」、次いで「戌」右にはみ出しているのが奇妙

単に石工がヘタクソだったということなのでしょうか?

う~む…と考え込みながら、このたびの王子訪問記全巻の終わりでございます。

あまり締まりませんナ…