「久しぶりの王子散策記 #5」のつづきを書こうとして、「#5」用に細工していた画像を載せ忘れていたことに気づきました。
要した手間と時間がもったいないので、ここで載せておきます。
Google Mapに、装束稲荷神社と装束榎跡と王子稲荷神社をプロットした画像です。
遠くに富士山も見えますな。
歌川廣重は「江戸名所百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」を描くとき、富士山も描きたいのだけれど、深夜には見えないし…と残念がったんじゃなかろうかと思ったりして…
で、王子稲荷神社に到着。
ちょうど境内にある幼稚園の退園時刻でして、境内は迎えにきた親たちと、幼稚園から「解放」(?)されてはしゃぎまわる子どもたちで大賑わい
そんな状況の中に、オヤジが一人でウロウロするのは、余計な疑惑を持たれそうでしたので、そそくさと退散いたしました
王子稲荷神社から王子駅方面に向かう道沿いには中央工学校の校舎が建ち並んでいるのですが、そこで見た校名碑にえ"
「学校法人 中央工学校」と書かれた校名の下に説明板が埋め込まれておりまして、そこに書かれていたのは、、、
この書は、本校卒業生 第五代校長 元内閣総理大臣 田中角榮先生が 昭和46年に揮毫されたものです
ですって
田中元首相が中央工学校を卒業した1936年当時、中央工学校のような専門学校は公的に「学校」とは認められていなかったことから、田中元首相の公的な最終学歴は「旧制高等小学校卒(≒現在の中卒)」です。
こんな学歴に加えて、地縁・血縁もない身の上から政治家になり、そして総理大臣にまでなったという田中元首相は、やはり立志伝中の第一人者ですな。
せっかくですので、年表的に整理しますと、田中元首相が上京したのが1934年(16歳)、中央工学校土木科を卒業したのが1936年(18歳)、衆議院議員選挙に初当選したのが1947年(29歳)、中央工学校の校長就任が1953年(35歳)、初入閣(第一次岸内閣の郵政大臣)が1957年(39歳)、自民党総裁就任&内閣総理大臣就任が1972年(55歳)、いわゆる「田中金脈問題」で首相を退任したのが1974年(57歳)、以下、略します。
田中元首相が、上に載せた中央工学校の校名を揮毫したのは、1971年ですから、自民党幹事長か第3次佐藤(改造)内閣で通商産業大臣を務めていた頃です。
かなり脇道に逸れました。
次の目的地、王子神社に向かう途中で見かけたうなぎ屋に立ち寄って、昼食の鰻重を食しました。
それほど美味しいとは思いませんでしたが、コストパフォーマンスは高かった
そろそろ出かけたいので、王子神社の話は「#7」にまわすことにして、きょうはこれまで。




