「半年前の信州旅行記(その5)上田編⑤」のつづきは、いよいよ上田城趾です
が、その前に、こちらの建物に目が行きました。
古風な建物ながら、「蚕都上田会館」という新しめの看板が掛かっていますが、「閉館しました」という貼り紙が何枚も掲示されています。
こちらの報道によりますと、
上田市の旧上田市立図書館を借り、かつて繁栄を誇った蚕糸業の姿を伝えてきた「蚕都上田館」が(去年5月) 10日、老朽化や耐震性の問題から閉館した。(中略)
旧上田市立図書館は1915(大正4)年に建てられた築100年の洋風建築。同プロジェクトが2010年から借り受け、インターネット放送局や公開講座などを通じ、江戸期~近現代に蚕糸業で栄えた蚕都上田の歴史や文化を発信してきた。(中略)
閉館後の活用法はまだ決まっていない。前川教授は「耐震補強をした後、例えばレストランや喫茶店などとして活用する方策はないか。地域の活性化につながる利用法を探り、提案していきたい」と語った。
だそうです。
私にとってはさほど魅力的な建物ではありませんが、良い活用法が見つかるといいですねぇ。
さて、二の丸橋を渡って、入城いたしました。
二の丸では、あちこちの城跡で見かける光景ですが、真田殿が観光客に城址公園を説明されていました。
そして、上田城といえばこの眺め の東虎口楼門
もう一枚。
「城」というよりも、「砦」のイメージが強い気がします。
とりわけ、この東虎口櫓門前から見下ろした眺めなんて、よござんす
天正11年(1583)に真田昌幸が上田城をつくった頃は、上の写真の石垣の先は千曲川から分かれた尼ヶ淵があったそうで、城の南側は川で守られていたわけですな。
言い換えれば、上田城は河岸段丘の上に築かれた平城ということになります。
ところで、上田城趾公園内はもちろん、上田の市街地は真田氏の紋所「六連銭」紋、いわゆる六文銭で充ち満ちていましたが、意外なことに、真田氏が上田城主だったのは、昌幸=信之の2代、40年間ほどでしかありません。
やはり真田氏は「地元の英雄」扱いなんでしょうなぁ。
いろいろ事情がありますもので、きょうはここまで。
つづき:2016/01/08 半年前の信州旅行記(その7)上田編⑦






