「好天に誘われて江戸東京たてもの園(その2)」で三井八郎右衛門邸の内部を紹介したあとは、今度は農家の中を拝見
ススキの穂が開きだして、まさに「里の秋」の雰囲気ですな。
この家は、江戸後期に三鷹市野崎(旧・武蔵国多摩郡野崎村)に建てられたという「吉野家(“よしのや”ではない)」。
内部は、「昭和30年頃の農家の生活の様子を再現している」そうですが、「カッテ」と呼ばれる囲炉裏のある居間は、いかにも古い農家のイメージです。
私の家は農家ではないけれど、小学校低学年まで住んでいた家(既に存在しない)を思い出します(下の図は古い記憶から書き起こした私の旧実家の間取り。こちらの記事で使いました)
この吉野家、かなり格式の高い家だったようで、「オクザシキ(奥座敷)」は、
床の間・付け書院・違い棚を備えた本格的な「書院造」になっています
外観からは想像がつかない展開です
この吉野家がある江戸東京たてもの園の西ゾーンには、同じく茅葺きの八王子千人同心組頭の家や
綱島家(農家)もあって、まるで農村のイメージ
入母屋の屋根は排煙の役目も持っているんですな。
この排煙窓(?)に興味を持たれた方は、3年半前に書いた記事「民家を観てみんか(後編)」をご参照くださいませ。
それはさておき、この一角には、小さな小さな農園もありまして、練馬大根や谷中生姜など江戸東京野菜が栽培されていました。
内藤唐辛子が可愛らしかった
この西ゾーンから数百メートル離れた東ゾーンにも古い農家がありまして、これがまた立派
まず、長屋門と呼ばれる小部屋付きの門がありまして、
さらに、主屋は、お城の天守などでお馴染みの千鳥破風付き
この家、「天明家(てんみょうけ)」という農家で、現在の大田区鵜の木1丁目に18世紀後半に建てられたもの。
解説本によれば、
天明家の入口である長屋門には1769年(明和6)の棟札があり、主屋も同時代の完成と推定される。天明家に残る文書には、長屋門が1806年(文化3)に建て替えられたとの記録がある。
また、屋敷の西側は、主屋完成後に増築された書院造りの建物で、修理の記録から1808年以前に完成したことがわかる。
だそうで、天明家にも書院造りのお座敷がありました。
それにしても、デカい
そして、デカいだけでなく、土間に入ると火灯窓があるし、
長屋門の「小部屋」は、小部屋どころか8畳敷のステキな部屋だし、
天明家が普通の農家ではないことが明らかです。
それもそのはず、
天明家は、鎌倉時代に下野国(現、栃木県)から現在の大田区鵜の木に移り住み、江戸時代には鵜の木村の名主役を勤めたと言い伝えられている。(中略)
大名が多摩川の鮎狩りなどに訪れるときは本陣を勤め、明治時代には役場として使用された。
敷地の西側は江戸時代からの大切な農業用水であった六郷用水に面しており、約3,000坪余りの広大な敷地を持つ屋敷であった。
とな
「約3,000坪余り」だなんて、約1ha、100m四方の面積ですぞ
とてもじゃないけれど、代替わりのたびに相続税を払っていたら、どんな財産をも食いつぶしそうです。
財産があればあったで、苦労があるんでしょうなぁ 私には縁のない話ですが…
というわけで、江戸東京たてもの園にある農家は、一般的(だと思う)な「茅葺きの農家」に対するイメージを覆してくれますぞ、K.I.T
つづき:2016/10/24好天に誘われて江戸東京たてもの園(その4)














