つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

令和初の関西旅行は、京都日帰り #4

「令和初の関西旅行は、京都日帰り」シリーズに戻りまして、「#3」のつづきです。

京都国立博物館(京博)を出たのは12:40で、予約していた帰り新幹線の発車時刻まで2時間半弱
さて、どこに行こうか? と考えた結果、たぁ~らたぁ~ら繁華街まで歩いて、遅い昼食を摂ってから帰ろう という結論に至りました。

京博の敷地の向かいにある三十三間堂は、何度か参観したし、方向として逆なので、すぐお隣方広寺を見物することにしました。

国宝「洛中洛外図 舟木本」(岩佐又兵衛筆)では、左隻に描かれた二条城(=徳川)に対峙するように、右隻方広寺大仏殿(豊臣)が描かれています。

初代は、東大寺の大仏よりも大きかったといわれる(京都の)大仏、今は跡形もありませんが、それでも、京博平成知新館前の人工池の中&外に大仏殿回廊の柱のあった場所を表示していて、なかなかな配慮を見せています。

平成知新館のエントランス近くには、大仏殿の復元図(平面図)が示されていて、平成知新館は、完全に大仏殿回廊の内側にあることが判ります。

上の復元図をもとに、Googleマップ回廊大仏殿を描くと、こんな感じになります。

この画像をつくりながら、大仏殿跡地緑地公園なるものに行ってみればよかった…と後悔しています。

それはさておき、京博の正門からほど近いところで巨石の石積みを見ることができます。

ここは大仏殿回廊南西角にあたる場所で、Wikipediaに、

石塁方広寺旧境内を区切っていた石積みで、京都国立博物館西門から北に遺存している。

とある「石塁」がこれっぽいですな(「西門」とあるのは「正門」のことでしょ、K.I.T)。
往時はさぞかし「秀吉好み」壮麗だったんだろうな… と想像しながら、とりあえず豊国神社の前を通り過ぎて現在の方広寺へ…。

現在の方広寺は、噂に聞いていたとおり、普通のお寺で、大寺院だった気配は感じられませんが、鐘楼と梵鐘立派 のひと言でした。

鐘楼天井画鮮やかです

方広寺梵鐘と鐘楼の天井

日本人で、普通の教育を受けた人なら誰でも(忘れてしまった人を除く)知っている方広寺の梵鐘、例の4文字×2組「問題の銘」(国&君臣豊楽)ハイライトされていました。

この豊臣家滅亡のきっかけとなってしまった(されてしまった)梵鐘プロデューサーを務めたのは、片桐且元さん。

NHK大河ドラマ「真田丸」での片桐さんは、狂言回し的な役回りで、ホント印象的でしたっけ…(演じた小林隆さん、最高でした)
この片桐さんとの縁もある場所を、約1ヶ月後に訪れることになるとは、この時は思いもよりませんでした。

   

方広寺鐘楼&梵鐘を拝見した次に訪れたのは、ちょっと戻って豊国神社でした。

「豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された(Wikipedia)という、ある意味新しい神社の豊国神社一番の見どころといえば、これでしょ

いかにも「桃山ぁ~」唐門です。

説明板によれば、

正面の唐門(国宝)伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもので、西本願寺大徳寺の唐門とともに国宝3唐門の一つとされている。

だそうです。
二条城にも(訪問記)金地院にも(訪問記)西本願寺にも(訪問記)大徳寺にも(訪問記)行ったことがありますが、伏見城跡には行ったことがありません。
いつか行ってみねば

で、豊国神社では、お参りすることなく唐門拝見するだけで、西へ向かいました。
烏丸通まで出て、昼食を摂ろうという次第。

ここまで書いて、当日のダイジェストとずいぶん「かぶっている」ことに気づいたりして…

でも書き直すのも鬱陶しいので、「#4」はここまで。

つづき:2019/12/15 令和初の関西旅行は、京都日帰り #5(完結編)