つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

那覇の街を散歩(その3)

沖縄市歴史博物館フライヤーを2枚入手しました。一枚は、

131006_1_01 「かつて中国皇帝の使者『冊封使』をもてなした冊封七宴のひとつ『中秋の宴』を再現。古典舞踊、組踊を披露するとともに国王・王妃の選出大会を行ないます」という「中秋の宴」
首里城公園の「御庭(自然に「うなー」と読めるようになりました)」で、「人間国宝の演奏と舞踊」が楽しめるなんて(しかも無料)、なんとも魅力的なイベントです

ところが、9月21日の夜はMISIAライヴだし(そもそも沖縄旅行の目的)、22日は夕方の飛行機で帰っちゃうし、で、今年の「中秋の宴」とは縁が無かったということで…

で、もう一枚のフライヤーは、、、

131006_1_02 遙かかなた、東京国立博物館(東博)で開催中(だった)の「秋の特別公開」
9月18日~29日たった2週間の開催でして、私の場合は、先週末のワンチャンスしかなかったわけなのですが、先週末は風邪の予兆が感じられたもので、結局行かずじまい…
入手したフライヤーは、共に、本来の目的を果たすことができずに終わったのでありました。

   

さて、「那覇の街を散歩(その2)」のつづきは、沖縄市歴史博物館の企画展「戦前の沖縄観光~ディスカバー・オキナワ~」見聞記の続編です。

沖縄は戦前から官民挙げて、観光振興に取り組んでいたそうで、その背景が下記のように説明されていました。

この頃(昭和10年代)から観光が注目された背景の一つに「ソテツ地獄」と称された長期不況があります。世界的な経済不況に連動して、沖縄の輸出品の約8割を占めていた砂糖の価格が暴落し、大正末~昭和初期にかけて県経済は大きな打撃を受けました。農村では米はおろかイモすらも食べることができず、調理法を誤れば死にいたることもソテツを食したことから「ソテツ地獄」と呼ばれました。この経験からサトウキビに大きく依存するモノカルチャー経済からの脱却を図るため、観光が注目されていたと考えられます。

「南の島」と聞くと、食べ物には困らないイメージを抱いてしまいますが(私だけ?)、台風の通り道にあたる沖縄では水管理が重要な水稲の栽培はリスキーなようで、内閣府沖縄総合事務所のHPによると沖縄の農業には、

平成17年において沖縄県の耕地面積は、田が877ha、普通畑31,000ha、樹園地1,990ha、牧草地5,450haとなっており、耕地全体に占める畑の比率は98.0%となっています。他府県に比べ稲作より畑作が中心となった背景として、以下の点が考えられます。
<気象条件>
夏秋期に襲来する台風や冬期における北東の強い季節風の影響が強い。
<地理的条件>
河川がほとんど存在しないため、雨水に頼らざるを得なく、水不足になりやすい。また、塩害が多い。
<地理的条件>
1.沖縄では貢祖や食料として稲作が行われていましたが、 1879年の廃藩置県以後は貢祖の金納が認められたことにより換金作物としてサトウキビを栽培する農家が増え、さらに 1888 年の甘庶作付制限撤廃によって、水田をさつまいも畑に転換したことで、稲作からサトウキビとさつまいもが中心の農業に変わっていきました。
2.1962年のキューバ危機発生以降の砂糖価格の上昇により、多くの稲作農家がサトウキビ栽培に変えていきました。

という特徴があるようです。
話が逸れましたが、要は、農業、それもサトウキビに大きく依存した産業構造の多極化を目指したということのようです。

   

たまたまCATVをザッピングしていると、Discovery Channelで、「戦場の真実:沖縄戦」を放送していて、思わず見入ってしまいました。

本当は人々が生活していた場所が戦場になったはずなのに、まるで山野でバトルが行われているかのような映像が衝撃的でした。
そして、日本軍・軍属の戦死者94,000人、一般住民の戦死者94,000人の衝撃…。
米軍も12,000人の戦死者を出し、死傷しなかったものの精神疾患を病むことになった兵士多数。沖縄戦を経て、米軍は日本本土決戦の回避を決断した、、、と番組は結んでいました。

沖縄ヒロシマ・ナガサキはつながっている、というわけです。

   

話が逸れっぱなしですが、「観光客が見た沖縄」という展示が、かなり地味ながら衝撃的でした。
「秋守常太郎」なる御仁が土地国有に関する調査で沖縄にやって来たときの滞在記の内容が凄い、、、っつうか酷い…

曰く、

同島における第一の神社ちしては波の上宮を指摘するのであるが、その規模は内地における二流以下のお稲荷様である。寺院は崇元寺を第一とするのであるが内地の庵寺同等である。同島第一の城郭である首里城は内地における五万石程度の物に比してなお幾分の遜色がある。もしそれ同島第一の庭園である識名園にいたっては内地における個人有のそれ等において遙かに優れたものがある

さらに、

私はさきに沖縄にては自然も人間も共にミジメにして、満目ただこれ荒涼であるというたが、その実は唯一不似合いな程に立派な物がある。しかもその立派な物があるためかえって一層に同島の風物をして荒涼ならしめているのは一大皮肉である。いわゆる「たまたま太れば腫れ病」というのと同一である。同島における墓が立派であるというても、その所要金額は精々が三千円以下であると信ぜらるるのであるから、これを大阪市または東京市等において二、三万円、伊国ミラノ市において百万円程度のものがザラにあるのに比して、貧弱であるということはいうまでもないところである。

ですと。

よほど沖縄でイヤな目にあったか、ただの偏屈野郎なのか判りませんが、よくもまぁ、ここまで書けるものです。
お墓を金額で比べて「貧弱」と結論づける辺り、この御仁の人品の軽重が伺えます…

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この展覧会の図録に、「観光」の語源について、

「観光」の語源は中国古典の『易経』の「観国之光、利用賓于王(国の光を観る、もって王に賓たるによろし)」という一節で、「他国の光(情勢)を観ることで、王に重用される存在になる」という意味です。

と書かれています。
Wikipediaによれば、「大正年間にtourismの訳語として用いられるようになった」そうですから、もしかすると、「観光」和製熟語

日本では「中国国家観光局」と称している中国の役所は、本国では「中華人民共和国国家旅游局」。一方、台湾「交通部観光局」は、、、なんと「中華民國交通部觀光局」
おぉ、これはわたし的には新発見です

それはさておき、現在も沖縄にとって観光主要産業であり続けています。

昨年度の沖縄の「入域観光客数」は、過去最高592万人を記録して、今年度も前年を上回るペースのようです。

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大変に結構なことだと思います。
私、現地に落とすお金の少なさでは人後に落ちない自負がありますが、沖縄観光の振興に協力させていたく所存ですぞ
あまり役に立たないかもしれませんけれど…

つづき:2013/10/12 那覇の街を散歩(その4・最終回)