つれづれなるまゝに 日くらしPCにむかひて 心に移りゆくよしなし事を
そこはかとなく紫煙に託せば あやしうこそものぐるほしけれ

接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その2)

「接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その1)」のつづきです。

「福岡城趾堀石垣」のある明治通りから(福岡には明治通り昭和通りに加えて大正通りもあるんですな)「上の橋(かみのはし)」を渡って福岡城に入城

かつては、上の橋を渡るとにしか行けなくて、そこに大手門が立っていたそうですが、現在の「メインルート」は橋を渡って右手に向かいます。
そして、そこに広がるのが、平和台球場跡、、、っつうか、鴻臚館(こうろかん)跡でした。

「鴻臚館」というのは、福岡市教育委員会による説明を引用しますと、

鴻臚館は、飛鳥、奈良、平安時代の日本の外交施設で、中国や朝鮮からの外交使節や商人­をもてなすとともに、日本から派遣される使節(遣唐使など)の送迎に使用されました。­鴻臚館は京都(平安京)、大阪(難波)にも設けられましたが、遺跡が確認されたのは福­岡だけです。

だとか。

古代から、日本の外交拠点として機能していたわけですな。

一方、福岡城は、「福岡城むかし探訪館」のサイトから引用すると。

1600年(慶長5年)、黒田長政は関ヶ原の戦いで戦功を上げ、徳川家康より52万3千石を与えられ、豊前国中津(大分県中津市)から筑前国(福岡)に移り、福岡藩初代藩主になりました。
長政は初め、名島城(福岡市東区)に入りますが、狭く、城下町も作れないため、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、総面積80万㎡(24万坪)、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模の平山型の城を築城しました。
城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。

 と、江戸時代になってから黒田長政によって造られたわけですから、歴史の古さの差は歴然
2008年までに平和台球場
が取り壊されて以降は、鴻臚館発掘調査が行われているのだとか。
発掘調査の成果は、「鴻臚館跡展示館」で公開されているようですが、今回はパス

ところで、今年のNHK大河ドラマの主人公は福岡城を築城した黒田長政の父・黒田官兵衛
ドラマでは、官兵衛(もう如水でした)が家督を長政に譲り、いよいよ「初代福岡藩主の時代」が近づいていますので、福岡城趾は盛り上がっているのかと思いきや… 閑散としていました。

一応、「鴻臚館址」のフェンス周りには「軍師 官兵衛」絡みの幟が何本もはためいているのですが、そして、観光客もそこそこいるのですが、熱気のようなものは感じられませんでした。
もっとも、私は流行に乗って行動するタイプの人間ではありませんので、こんな状況は逆に歓迎してしまいます。

んでもって、私は淡々と福岡城趾本丸を目指して歩いたわけですが、福岡城って、石垣は別として、建物はほとんど残っていないんですな。
それでも残っている数少ない建物の一つがが、私がこだわり抜いている「艮(うしとら=北東)」の建物だというのがうれしい

案内板を転記しましょう。

本丸の東北方向(鬼門)の角には、祈念櫓があります。これは鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860年)3月に起工、同年10月に竣工したものです。
この櫓は、大正7年(1918年)に、陸軍省から払い下げられ、北九州市八幡東区の大正寺境内に移築、観音堂として使用されました。そして昭和58年(1983年)、同寺より福岡城の旧位置に戻された経緯があります。(中略)
福岡城の特徴として、47ともいわれる多数の櫓があったことが挙げられますが、現存しているのは本櫓のほか、国指定の多門櫓や解体保存中の潮見櫓など数えるほどとなっています。

う~む、万延元年に建てられたとは、結構新しい建物なんですな。

それにしても、祈念櫓「櫓」と呼ばれているにしては、物置小屋っぽく見えるのは私だけでしょうか?
上下のバランスも良くないし…

   

福岡城最大の謎は、「福岡城に天守はあったのか?」ということでしょう。

Wikipediaには、

従来の通説では、正保3年(1646年)に作成された福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』には天守は描かれていないため、幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされている。
近年になって、当時豊前国小倉藩主であった細川忠興が、彼の三男で次期藩主の忠利へ宛てた元和6年(1620年)3月16日付の手紙に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と天守の存在を窺わせる記述が発見されたことによって、天守があった可能性が示されている
天守の解体を語ったとされるこの当時は、徳川氏の大坂城普請に諸大名が築城に駆り出されたことから、天守を解体し築城資材として投入することによって幕府の信任を得ようとしたと言う説も上がっている。

と書かれています。

天守の存在は不明ながら、天守台はしっかりと残っています。

この眺めだけだと、ふ~ん… って感じでしたが、ここに登ってみると、ますます混迷が深まりました
この石垣の内側には、柱の土台がしっかりと据え付けられていて

天守の存在が裏付けられているような気がする一方、石垣からの眺望はかなり良くて、

あえて天守を造る必要はなさそうな気がします。

福岡城天守はあったのか、なかったのか…
資料に基づいた結論が待ち遠しいですな。

2014/11/11 接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その3)