「半年前の信州旅行記(その1)上田編①」のつづきです。
昼食を済ませた私は、上田電鉄別所線で別所温泉に向かいました。
温泉 に入ろう というのではなく、
木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定されました。
という安楽寺八角三重塔を拝見するのが目的です。
で、小ぎれいな上田駅から電車に乗って出発
約30分の乗車の後到着した別所温泉駅は、
いやぁ~、山の中のイメージそのものではございませんか
さ、別所温泉観光だぁ の前に、復路の列車発車時刻表を写真でメモ
ローカル線を利用する場合、この作業は重要です
もっとも、ケータイで簡単に時刻表を確認できますけど…
事前調査の結果、安楽寺八角三重塔だけでなく、北向観音と常楽寺も拝観する予定にしておりまして、まずは「いかにも温泉街」っぽい道を通って北向観音へ御参拝。
それにしても閑散としてますなぁ…
で、北向観音
どことなく「ミニ善光寺」の佇まいですが、「北向山」という山号が意味ありげです
北向観音・常楽寺のHPに載っている「縁起」によりますと、
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。
安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。
寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。
本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がありません。
北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。
現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、たまたま向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。
今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せであるようお詣りください。
だそうです。
北向観音は善光寺に相対するように建立されたわけではないようで、Googleマップを見ると、善光寺はほぼ南面しているのに対して、北向観音は北西を向いて建てられています。
それはともかく、慈覚大師が、この温泉場を霊場にしたのはなぜなのでしょうか?
調べてみたものの、よく判りませんでした
ちなみに、北向観音の手水舎には温泉(慈悲の湯)が引かれていまして、
飲用可の証明書も貼られておりました。
また、「慈覚大師之湯」と書かれた碑で、龍が吐き出しているお湯も飲めるようです。
この「慈覚大師之湯」の碑には、
比叡山 己請 孝淳
と書かれて(彫られて)います。
どんな方の揮毫なのか気になって調べてみると、この孝淳師は、第256世天台座主(ちなみに慈覚大師円仁は第3世天台座主)でした。
それだけなら、「そうか、そうか」で終わりなんですが、驚いたことに、孝淳猊下(半田孝淳さん)は、
長野県上田市の古刹・常楽寺に生まれ、大正大を卒業後、1961年3月に住職に就任。京都・曼殊院門跡の門主を務め、天台宗の教学部長、宗機顧問会会長などを歴任。2007年1月に天台宗トップで延暦寺住職を兼務する天台座主に就き、12年から2年間、全日本仏教会会長を務めた。(朝日新聞)
というわけで、北向観音・常楽寺のご住職のご子息でいらっしゃいました
「なんと、なんと」です
さらに、驚いたことに、孝淳猊下は、つい半月前に、
お亡くなりになっていらっしゃいました
このに関する一連の発見は、この記事を書く過程でのことで、上に載せた「慈悲の湯」の水質検査結果書の写真をトリミングなしで見ると、その宛先は、
常楽寺 半田孝淳 殿
になっていました
知らなかったぁ~~
いつものことながら、旅行記を書くのは良い復習になります
信州旅行記を書くのをここまでひっぱってしまったのは、もしかすると孝淳猊下のお導きがあったのかもしれません
それよりも、孝淳猊下に、合掌
つづき:2016/01/04 半年前の信州旅行記(その3)上田編③









