約1週間ぶりに「避難したつもりではなかった京都旅行記(その5)」のつづきを書きます。
さっさと先に進めないと、来週には北海道旅行が迫っていますし…
3月20日(日)の行程は同日の記事「京都旅行ダイジェスト(2日目)」に書いたように、大津のホテルを皮切りに、「京都駅⇒薬師寺⇒京都駅⇒北野天満宮⇒金閣寺⇒龍安寺」と、高校の修学旅行を振り返る訪問先で固めてみました。
大津のホテルをチェックアウトした私は、京都駅に着くと、京都駅からほど近い2泊目のホテルに荷物を預け、近鉄特急で薬師寺に向かいました。
3月3日の記事「今月の京都遠征では奈良まで足を伸ばそうか…(後編)」に書いたように、平成大修理に入る前の東塔の「特別入堂拝観」が3月21日までで、東京国立博物館での展示(記事はこちら)を終えて帰ってきた平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を含む「玄奘三蔵院伽藍」の公開が3月19日からということで、この春分の日絡みの3連休は、空前絶後のタイミングですから
「3日間だけ」の薬師寺のスペシャルな拝観券は、4枚の拝観券がセットになったなかなかなものでした。
で、まずは、境内に漂う梅の香りを満喫しながら、白鳳伽藍の参観。
さっそく、「特別入堂拝観」の列に並び、さほど待ち時間もなく、東塔の内部に足を踏み入れました。
離れて観ると、1300年近い年月を感じさせない端正な姿の東塔ですが、その内部はかなりボロボロの印象でした。ほとんどモノトーンの世界で、柱の礎石はかなり沈んでいるし(明治時代の修理で、柱の下部が継ぎ足されている)、心柱には大きな亀裂が入り、鉄のバンドで補強されているしで、参観中の人が話していた「いま、大きな地震が起こったら、バラバラになってしまいそう…」が真実みを帯びていました。
いただいたパンフレット(いかにも薬師寺らしい詳細な説明と写真入り)を引用しますと、
薬師寺東塔の心柱は、ひび割れから下部の空洞化が確認されていて、平成6年に内視鏡とレントゲンによる柱内部の調査を行いました。
その結果、直径90cmの心柱の木部は薄いところで3~4cm、厚いところでも(下部より1.6mの高さ)14~15cm程度表層が残っている状況でした。空洞部分は天井付近(下部より3.6mの高さ)まで届き、円錐形の様な空洞になっています。この原因は未だ、白蟻あるいは菌によるものか定かではありません。
だそうで、かなり危ない状況のようです。
細部を観ても、ゆがみとか、風化とか、虫食いが明らかでした。
1981年に復興された西塔と見比べると、東塔の屋根の傾斜がきついことが見てとれます。
西塔の再建に携わった西岡常一棟梁が「1000年経てば、西塔も経年変化して、東塔と同じようになるはず」といったことをおっしゃったそうですが、解体修理が終われば、東塔も若返って西塔のフォルムに近づくことでしょう。
さて、東塔の特別入堂拝観とタイミングを合わせて、「西塔内陣特別拝観」も行われていました。
こちらは11時、13時、15時の3回、それぞれ30分づつの限定公開だったため、この日最初の公開直前には、ズラリと行列ができていました。
塔の東側から入堂し、澤田政廣さんの作になる色鮮やか&絢爛な「釈迦四相像」を時計回りに拝観し、北側から外に出ました。
まさしく「娑婆に戻った」感覚です。まだ薬師寺の境内ですが。
金堂で薬師如来・日光菩薩・月光菩薩にお参りした後、玄奘三蔵院伽藍に向かおうとすると、大講堂から読経の声が聞こえてきました。
ちょうど、毎月第三日曜日の11時から行われている弥勒縁日法要が行われていたのでした。
大講堂の中に響き渡る声明(しょうみょう)、なんとも良かった…
「日本最高の伝統音楽」は、お堂の中で聴く声明ではないかと思ったほど。
修学旅行生など団体さんへの法話会場として使われているらしい東僧坊に、「薬師寺白鳳伽藍復興用材」として巨大な切り株が展示されていました。
説明書きによれば、
この原木は樹齢2500年の台湾産「紅桧」で薬師寺白鳳伽藍回廊、講堂復興用材の納入完了を記念すると共に、西岡常一棟梁の文化功労者顕彰を祝して、台湾省台南県豆鎮の農林木業有限公司、林永申社長より平成5年10月に寄進されたものです。
台湾に於いては、平成3年より自然保護の目的で、木材の伐採が禁止されました。そのため原木の確保ができなくなった現在、この大径木は樹齢、材質共に記録に残る原木で、昭和42年以来白鳳伽藍復興に多くの台湾産桧を用いた証として永久保存するものです。
だそうです。
古い寺社の復興・再建でネックになるのは、資金もさることながら、用材の確保と建築基準法への対応らしいです。
白鳳伽藍の復興にあたっても、日本中で用材を探したものの、1000年を超える樹齢の桧を見つけることができず、台湾産の桧を使ったと聞きます。
また、鉄筋コンクリートやボルト&ナットの使用を勧める学者先生と、伝統工法にこだわる宮大工の方々との論争が繰り広げられたと聞きます。
東京スカイツリーが心柱による制震構造を備えているように、伝統工法は現在の建築にも生かされています。
材料の選択も含めて、1000年以上の伝統と歴史を背景にした技術と技能を後世に伝えることは、現代を生きる日本人の義務だと思った私でありました。
そして、東塔の解体修理によって、新しい発見があり、人間の叡智が更に深く・豊かになることを期待しています。
つづき:2011/04/09 随分前のような気のする京都旅行記(その7)







