「寒桜咲く上野で『とうはく三昧』(その1)」のつづきです。
「没後400年 特別展 長谷川等伯」では「もらって帰りたい。でもスペースが圧倒的に足りなくて置き場所に困る」作品が目白押しでした。
どちらかと言えば「金碧障壁画はちょっと…」な私でさえもほれぼれ~する作品、「『書』はなぁ…」の私でさえもはりゃ~と惹きつけられる作品、そんな私の嗜好を覆す作品が次から次へと繰り出されて来ました。
そんな出品作品から、「徒然煙草の独断と直感 等伯10選」をやってみましょう。
まず❶。
牧で放し飼いにしていた馬を捕まえようと、大勢の人たちが追いかけ回している様子を描いた「牧馬図屏風」。
この作品の大型ポストカードがミュージアムショップで売られていてかなり迷いましたが、発色が現物に比べて相当劣っている気がして、結局買いませんでした。
考えてみれば、等伯の作品で「躍動する動物と人」が描かれたものはほとんど無いような気が…。
❷は、もらって帰ろうにも飾る場所どころか、輸送方法に困ってしまうコチラ。
792.8×521.7cmの超大作「仏涅槃図(ぶつねはんず)」。
左の写真は、オフィシャルの「ジュニアガイド」(こちらのサイトからPDFをダウンロードできます) から拝借いたしました。
この作品は大きすぎて、下の動物が描かれている辺りから手前に垂らすようにして展示されていました(都営大江戸線の中吊り広告を逆さまにした感じ)。
この作品と❸「日通上人像(にっつうしょうにんぞう)」からは、親族や親しかった知人や恩人を亡くした等伯の悲しみがひしひしと伝わってきました。
とりわけ「仏涅槃図」の画面最上方に描かれた月の寂しさときたら…
また、肖像画系では、かなり有名な❹「千利休像」も、千利休の「たたずまい」が感じられるようで、素晴らしい作品でした。
一方、華やかな金碧障壁画では、❺「松に秋草図屏風(まつにあきくさずびょうぶ)」と❻「萩芒図屏風(はぎすすきずびょうぶ)」がよござんした
「松に秋草図屏風」は松が大黒柱のように絵全体を支える一方で、周りの何気ない秋草・花が命を発散しているし、「萩芒図屏風」は風の音と葉ずれの音が響いてくるような軽やかなリズム感が何とも心地良い… ススキの更に左でゆらゆらしている小菊がかわいい…
この2作品に比べると、「楓図壁貼付(かえでずかべはりつけ)」や「柳橋水車図屏風(りゅうきょうすいしゃずびょうぶ)」はイマイチの感強し…。「楓図」は「松に秋草図」と比べて、狩野派に対する対抗意識が表面に出過ぎている感じですし、「柳橋水車図」は「ウケ狙い」の臭いが感じられるのですよ、私には…。
徒然煙草の独断と直感 等伯10選」残りの4作品は水墨画です。
まず6曲1双の❼「竹虎図屏風」。右隻の右側からフンフンした(?)毛並みの虎が左隻を見つめています。
この虎の視線の先にあるものは、、、、
あれま、、、
「おぉ~、痒ぃ~」とばかりに、右後ろ脚で耳の後ろをボリボリ掻いている虎…。
お茶目というか、なんというか、好きです、この作品
❽「山水図襖(さんすいずふすま)」は、真偽は定かではないけれど、いわく付きです。
桐(五七の桐)の模様が型押しされた唐紙張りの襖に、墨で山水が描かれています。伝承によれば、等伯が旧大徳寺三玄院の襖に絵を描かせて欲しいと住職に頼んだものの却下 何度頼み込んでもダメ
そこで等伯は、住職が外出している隙に、今だとばかりに勝手に大徳寺三玄院に上がり込んで、留守番の坊さんたちの制止を振り切って、襖に山水図を描いてしまったのだとか。
現在の法律に照らせば、「住居不法侵入」「器物損壊」の罪に問われてしまいますなぁ。
等伯は、よほど自信に満ちていたのでしょう。また、これが乾坤一擲の勝負の時だと思ったのでしょう。
その結果、上のリンク先(等伯の故郷、石川県七尾市の商工会議所のサイト)の説明にありますとおり、桐の型押しが降りしきる雪に見えて、等伯の水墨画がより一層引き立っているようです。
そして、同じく大徳寺の三門の仕事とも相まって、等伯は一気に絵画界のエスタブリッシュメント狩野派の地位を脅かす存在にまで昇っていったのですから、まさしく乾坤一擲の勝負の時になったのだそうな。
「書」が苦手な私ですが、❾「檜原図屏風(ひばらずびょうぶ)」は良かったぁ~。
ネットで図・写真を捜しましたが、見つかりません。この作品を所蔵しているはずの京都東山・禅林寺(永観堂)の「寺宝一覧」を見ても、写真どころか、作品名さえ載っていません
雑誌「芸術新潮」によれば、
《檜原図屏風》という、テイストが似通った作品が、近年見つかっています」「これまで弟子の作品とする見方もあったのですが、(中略)等伯自身の手になるとする方がむしろ自然でしょう
ということで、まだ「等伯作」という見立てが確立していないからかもしれません。
仕方ないので、「芸術新潮」から写真を拝借。

ぼぉ~と霞む檜を囲むように、新古今和歌集に収められた禅性(ぜんしょう)法師の歌、
はつせ山 ゆふこえくれて やどとへば 三輪の檜原に 秋風ぞふく
を、能筆で知られた近衛信尹(このえ・のぶただ)が揮毫しています。
ここで芸が細かいのは、信尹が禅性法師の歌の「三輪の檜原に」の部分を省いて揮毫していること。省いた部分は絵が示している、という仕掛けです。
当時のハイソサエティな方々にとって古今・新古今集は一般常識だったそうで、私のように解説を読んで始めて納得するのは「お里が知れますわねぇ」です、K.I.T…
ようやく「徒然煙草の独断と直感 等伯10選」、最後の作品です。
もう、これしかないでしょう。
もちろん、日本美術の尾根の中でもひときわ高い峰、❿「松林図屏風」です。

幅はともかくも、高さは160cm弱ですから、高さ224cmを誇るあの狩野永徳筆「唐獅子図屏風」(「皇室の名宝 1期」で実物を観て度肝を抜かれました)に比べると、かなり小ぶり(屏風としてはこちらが普通の大きさだと思う)。
でも、やはり等伯の「松林図屏風」は「日本美術の尾根の中でもひときわ高い峰」だと思いました。
19世紀後半から始まった印象派のように、等伯は光と空気を描いています。しかも、墨の濃淡だけで。
いやはや、見事です。
それにしても、よくぞここまで等伯の作品を全国から集めたものだと感心します。
全国の神様が集まる神無月の出雲みたいです。
作品の保存状態も総じて上々(本当に武田信玄の肖像か否かで論議を沸き起こしている「武田信玄像」は薄黒くてよく見えませんでした)で、どの作品も大事に扱われていたのだろうと察せられます。
「没後400年 特別展 長谷川等伯」は、今月22日(祝)まで東博で開催された後、京都国立博物館(京博)に巡回します。
京博での会期は、4月10日(土)~5月9日(日)です。ゴールデンウィークに京都旅行をご検討中なら、スケジュールに加えてはいかがでしょうか(京博の平常展示館が建て替え中のため、平常展は観られません)。
京博の特設サイトでは、割引券がダウンロードできるほか、「等伯人生双六」なんてコーナーがあったりします。京博も気合いが入っているようです。
つづき:2010/03/09 寒桜咲く上野で「とうはく三昧」(その3)

